織田信長を火縄銃で狙撃した謎多き男「杉谷善住坊」とは?狙撃の理由やその後に迫る (2/3ページ)
信長を狙撃した状況と理由
善住坊が信長を狙撃したのは元亀元年(1570)、京都から伊勢国(現在の三重県北部)と近江国(現在の滋賀県)を結ぶ街道・千種街道を通る迂回路を経て、岐阜城に戻る時でした。
この時の善住坊と信長の距離は20数メートル。近距離で撃った2発の銃弾は信長に当たりましたが、かすり傷程度で済んでしまいました。
なお、狙撃の際に使用した場所は、「杉谷善住坊のかくれ岩」として現在も残っています。
善住坊が信長を狙撃した理由は、『信長公記』を見るに六角義賢(ろっかく-よしかた)からの依頼と指摘されています。
六角氏は永禄11年(1568)、信長と戦った観音寺城の戦いでの大敗により、衰退の一途を辿りました。
そんな時に訪れた信長の岐阜城撤退。千載一遇のチャンスを得たとばかりに、火縄銃の名手・善住坊に暗殺を依頼したのではないかと考えられます。