【どうする家康】忠義の裏に秘めた野心…毎熊克哉が演じる大岡弥四郎(大賀弥四郎)の末路【前編】 (2/5ページ)
弥四郎ら一味はことごとく処刑された。
……という事でした。面従腹背とはまさにこの事、劇中では二面性のあるキャラクターが予想されます。
「もうちょっと詳しく知りたい!」という方は、以下『東照宮御實紀附録』の方も合わせてお付き合い下さい。
才能を開花させ、家康・信康から信頼される
……大賀弥四郎といへるははじめ中間なりしが。天性地方の事に達し算数にもよく鍛錬し。物ごとに心きゝたる者なれば。会計租税の職に試みられしによく御用に立しかば。次第に登庸せられて三河奥郡廿餘村の代官を命ぜられ。其身浜松に居ながら折々は岡崎にも参り。 信康君の御用をも勤めければ。今はいづ方にも弥四郎なくては叶はぬといふ程になり。専らの出頭人とぞなりにける。……
※『東照宮御実紀附録』巻三「誅大賀弥四郎」
大賀弥四郎はもともと中間(ちゅうげん。下級の奉公人)でしたが、地方(じかた。地域行政)の才能があったと言います。また算術に長けて機転が利いたため、出世した三河奥郡の20ヶ所で代官を務めました。
基本的に家康の治める浜松にいましたが、重宝されるため岡崎にも呼ばれるようになり、信康の仕事も請け負うようになります。
何かと重宝したものですから、次第に弥四郎がいなくては始まらないほどの出世頭になったのでした。