これが忍者飯…! 超ハイカロリーな飢渇丸や、徳川家康の”伊賀越え”を助けた保存食とは?

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これが忍者飯…! 超ハイカロリーな飢渇丸や、徳川家康の”伊賀越え”を助けた保存食とは?

いつ災害が起きてもおかしくない日本。
出かける際、鞄に一つ忍ばせておけばこれで安心?
忍者のバイブル、「萬川集海」に載っていた保存食をご紹介します。

喉が渇いたときには「水渇丸(すいかつがん)」

水が入手できない場合に口に含むとよいと言われる携行食です。

・梅干しの肉…1両(42グラム)
・氷砂糖…2匁(約7.5グラム)
・麦門冬…1匁(3.75グラム)
これらを粉々にして丸める。

え、超簡単。簡単すぎて逆に想像できません…!
ちなみに両は約42グラム。匁は3.75グラムです。
麦門冬(ばくもんどう)というジャノヒゲの根にできる肥大根を干したもの。この調達が難関かも…。漢方薬ではポピュラーな材料なので、漢方を取り扱う店で入手できるそうです。

梅干し(イメージ)フォトACより

味は甘酸っぱくグミのように弾力があり、唾液を分泌するのには十分だそうです。が、食べすぎると逆に喉が渇くとか…。なので、ゆっくりと口の中で溶かすように味わうべし、とのこと。

腹減ったー。そんなときは「飢渇丸(きかつがん)」

一日3粒食べれば活動できる!と自信をもって紹介されている飢渇丸。
そのレシピは…

・人参…10両
・そば粉…20両
・小麦粉…20両
・山芋…20両
・甘草…1両
・よくいにん(ハト麦)…10両
・餅米粉…20両
これらを酒3升に漬けて、酒が全て蒸発するまで待つ。3年ほど寝かせて、桃の種(直径約2センチ)ほどの大きさに丸める。

(小沢滋著、峯文社、昭和14年、国立国会図書館より)

人参は朝鮮人参のことですね。そば粉、小麦粉、山芋などおなじみの素材を想像するだけで腹にたまりそうな具材が並びます。

家康を助けた佃煮も忍者飯?

浅草名物の佃煮も、忍者によって生まれた保存食であると言われています。徳川家康が本能寺の変の後、伊賀忍者の力を借りて境から三河国へ強行軍を行った「伊賀越え」の最中、大阪・佃村の住民が塩茹でにした魚や貝の干物を提供。これが佃煮の原型になったと言われています。

後に家康が徳川幕府を開いたとき、佃村の住民を大阪から浅草に移住させたことで、江戸の名物のようになったということです。家康はその後、佃村の住民を諜報員として活用し、各地の大名の台所事情を探らせたとのこと。

まきびしは食べ物だった?

忍者が追っ手を足止めするために使う忍具である「巻き菱」。時代劇では鉄製など金属のようにみえることもありますが、当時は水草であるオニビシやヒメビシの実を乾かしたものや、ヒシの実を乾燥させて作っていました。確かに高価な金属を、使い捨てで使うのも非効率ですよね…。

そしてこのヒシの実は、ゆでたりむしたりすることで非常食になったと言います。
でんぷん質を豊富に含んでいるので栗のような味がするといわれています。

ヒシの実(フォトACより)

参考:忍者マイスター、『忍者の教科書ー新萬川集海』(2015年2月、伊賀忍者研究会著)

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