【どうする家康】忠義の裏に秘めた野心…毎熊克哉が演じる大岡弥四郎(大賀弥四郎)の末路【後編】
前編のあらすじ
天性の才能で徳川家康(演:松本潤)・徳川信康(演:細田佳央太)から絶大な信頼を得ていた大岡弥四郎(演:毎熊克哉。大賀弥四郎)。
主君の寵愛をいいことにおごり高ぶっていた弥四郎は、家臣たちの恨みを買っており、ある時近藤ナニガシが弥四郎の謀叛を告発します。
驚いた家康は、さっそく家老たちに命じて弥四郎を取り調べさせたのでした……。
【どうする家康】忠義の裏に秘めた野心…毎熊克哉が演じる大岡弥四郎(大賀弥四郎)の末路【前編】 なぜ言わぬか!家老たちを叱りつけた家康だが………… 君聞しめし驚かせたまひ。追々に拷鞫(ごうきく)し給へばひが事ども出きぬ。よて老臣をめして。かほどの大事を何とてわれにいはざりしと仰ければ。さむ候この事かねて相議しけれども。彼かねて両君の御かへりみ深き者ゆへ。臣等申上たりともかならず聞せ給ふまじければ。大に御けしきを損じ。かへりて臣等御疎みを蒙らんと詮なしとおもひ。今まで遅々せしは臣等が怠り謝し奉るに詞なしといふ。……
※『東照宮御実紀附録』巻三「誅大賀弥四郎」
「バカモン!」
家康は近藤ナニガシの訴えを受け、家老たちを叱りつけます。
「なぜ斯様の大事を、わしに告げなんだか!」
家老たちは平謝りするばかり。よもや「殿の寵愛を受けている弥四郎ともめて、面倒ごとに巻き込まれたくなかった」とは言えません。
しかし言いにくいことを言わねばならないのが家臣の務めであるならば、少しでも家臣が忠言しやすい度量を示すのが主君の務め。
家康もまた、反省するところ大だったようです。
武田勝頼への内通が発覚……よて弥四郎をばめし囚て獄につなぎ。その家財を籍収せしむるにをよび。弥四郎が甲斐国と交通する所の書翰を得たり。その書の趣は。此度弥四郎が親友小谷甚左衛門。倉地平左衛門。山田八蔵等弥四郎と一味し勝頼の出馬をすゝめ。勝頼設楽郡築手まで打ていで先鋒を岡崎にすゝめば。弥四郎 徳川殿といつはり岡崎の城門を開かしめ。その勢を引き入れ 三郎殿を害し奉り。その上にて城中に籠りし三遠両国の人質をとり置なば。三遠の者どもみな味方とならん。しからば 徳川殿も浜松におはし。かねて尾張か伊勢へ立のき給はん。是勝頼刃に血ぬらずして三遠を手に入らるべしとなり。勝頼この書を得て大に喜び。もし事成就せんには恩賞その望にまかせんと。誓詞を取かはして築手まで兵を進めけり。かゝる所に悪徒の内山田八蔵返忠して信康君にこの事告奉りしより遂に露顕に及びしなり。……
※『東照宮御実紀附録』巻三「誅大賀弥四郎」
さて、さっそく弥四郎を捕らえて投獄し、財産を没収した家康。捜査を進めたところ、弥四郎が甲斐の武田勝頼と密通していた証拠の書状が見つかりました。
そこに書いてあったのは、こんな企みです。
弥四郎の親友である小谷甚左衛門(おだに じんざゑもん)・倉地平左衛門(くらち へいざゑもん)・山田八蔵(やまだ はちぞう)が共謀して勝頼の軍勢を手引きして、徳川方と偽って岡崎城へ招き入れます。
侵入に成功したらただちに信康を殺し、岡崎城内に残っている徳川家中の妻子を人質にとれば、三河・遠江両国の者たちは武田家に降伏するでしょう。
そして孤立無援となった家康を尾張でも伊勢でも追放してしまえば、血を流さずに三河と遠江を手に入れられる……そんな算段でした。
「相違ないな、八蔵」
「ははあ」
一度は謀叛に与したものの、心変わりした山田八蔵の証言によって、謀議の裏づけがとれたのです。
妻子を磔にされ、弥四郎は鋸引きで無惨な最期鋸引きの刑に処される弥四郎(イメージ)藤田新太郎編「徳川幕府刑事図譜」より
……よて弥四郎が妻子五人を念志原にて磔にかけ。弥四郎は馬の三頭の方へ顔をむけ鞍に縛り。浜松城下を引廻し。念志が原にて妻子の磔にかゝりし様を見せ。其後岡崎町口に生ながら土に埋め。竹鋸にて往来の者に首を引切らしめしに。七日にして死したりとぞ。……
※『東照宮御実紀附録』巻三「鋸引」
「弥四郎の妻子を磔(はりつけ)にせぇ!」
忠義ヅラして謀叛を企んでいた弥四郎一味を処断するべく、家康はまず弥四郎の妻子を念志原(ねんしばら。ねんしがはら)で磔にしました。
その上で弥四郎自身は馬の鞍に縛りつけて浜松市中を引回し、念志原で泣き叫ぶ妻子を見せつけてやります。もちろん、目の前で処刑するのがお約束です。
後に岡崎城下で首から下を土に埋め、鋸引きの刑に処しました。
竹で作った鋸で首を引き切るのですが、竹で作ってあるためすぐには切れません。みんなでギコギコ引きながら、悶絶する弥四郎を観賞するという悪趣味満点な刑罰です。
「さぁさぁ、みんな大好き弥四郎の処刑だよ!鋸を引きたい人は、遠慮なく楽しんでね!」
こうなるとみんな日ごろの怨みを晴らさいでかとばかり鋸引に参加。寄ってたかって散々なぶり倒した挙げ句、弥四郎は七日目で息絶えたのでした。
残党たちを粛清小谷甚左衛門は渡辺半蔵守綱めし捕むとて行向ひしが。遁出て天龍川を游ぎこし二股の城に入り。終に甲州に逃さりたり。倉地平左衛門は今村彦兵衛勝長。大岡孫右衛門助次。その子傳蔵清勝。両人してうち取りぬ。山田八蔵は御加恩ありて。禄千石を賜り返忠の功を賞せられしとぞ。……
※『東照宮御実紀附録』巻三「鋸引」
さて、残った謀叛人たちも処分せねばなりません。
家康は渡辺守綱(演:木村昴)に命じて小谷甚左衛門を追わせますが、甚左衛門は天龍川を泳いで武田領へ入り、そのまま甲斐まで逃亡してしまいました。
一方、倉地平左衛門は今村勝長(いまむら かつなが。彦兵衛)と大岡助次(おおおか すけつぐ。孫右衛門)、助次の息子である大岡清勝(きよかつ。傳蔵)が三人がかりで討ち取ります。
そして心変わりした山田八蔵については恩賞にあずかり、一千石の知行を賜わったということです。
家康、改めて反省……後日に至るまで度々弥四郎が事悔思召よし仰出され。我そのはじめ鷹野に出むとせしに老臣はとゞめけるを。弥四郎ひとり勧めつれば我出立しなり。これ等の事度々に及び。老臣等終に口を杜(とじ)る事となりゆきしならん。近藤が直言にあらずんば我家殆むど危し。畏れても慎むべきは奸佞の徒なり。おほよそ人の上としては人の賢否邪正を識りわけ。言路の塞らざらんをもて。第一の先務とすべしと仰られしとなり。……
※『東照宮御実紀附録』巻三「鋸引」
「それにしても、弥四郎があんな大それたことを企んでおろうとは、わしもつくづく見る目がないのぅ」
今回の一件で、家康は大いに後悔したと言います。
「言われてみれば、そなたらが度々諫めてくれていたのを聞き入れなんだがゆえに、そなたらも口をつぐんでしまった……悪かった」
「いえいえ、滅相もない。此度のことは我らが非にございます。近藤が直言してくれねば、御家が危いところでしたな」
「まったく、人の上に立つ者はよく人を見極めて周りの声をきちんと聞き入れることが大切であると、つくづく思い知らされたわい」
かくして「雨降って地固まる」となった徳川家。しかし勝頼の軍勢は着々と迫っており、それが世に言う「長篠の合戦」につながるのでした。
そのくだりについては、また改めて紹介したいと思います。
終わりに以上、『徳川実紀』に登場する大賀弥四郎(大岡弥四郎)のエピソードを紹介してきました。
果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、毎熊克哉がどのような弥四郎を演じてくれるのでしょうか。
とことんまで嫌なヤツなのか、それとも彼なりの信念や事情を魅せてくれるのか……これからの展開が楽しみですね!
【完】
※参考文献:
『NHK大河ドラマ・ガイド どうする家康 前編』NHK出版、2023年1月 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan