武田の残党を皆殺し…苛烈な信長に対し、家康はいかに甲州人の心をつかんだか【どうする家康】 (3/3ページ)
……信長は武田の舊臣ども上下のわかちなく。一々さがし出して誅せらる。君はかの者共生残りて餓死せんもいとおしき事とあはれみ給ひ。甲信の間に名を得たる者をば。悉く駿遠の地にまねきはごくませられ。又勝頼父子はじめその最期まで附従ひつる男女のなきがら共。田野の草村に算を乱して鳥獣の啄にまかせたるを。武田が世々の菩提所恵林寺も。織田家をはゞかりてとりおさめんともせず。 君さすがにさるものゝ骸を露霜にさらさんは情なきに似たりとて。田野より四里へだゝりし中山の広厳院といふ山寺の僧に仰せて。その屍ども懇に葬らしめ。其所に一寺をいとなみ天童山景徳院とて寺料までよせ給ふ。これを見聞する遠近のもの。織田殿の暴政とは天淵の遠かなとて感じ仰がざる者なかりしとぞ。……
※『東照宮御実紀』巻三 天正十年「家康収攬甲州人心」
その後も、武田の残党を片っ端から殺しまくった信長。
これに対して、家康は彼らを密かに保護し、人々から厚く慕われました。
家康にとって最大の強敵でありながら、最高の師でもあった武田信玄。その信玄を支えた勇猛な家臣たちを多く召抱えたことが、家康の天下取りを支える一翼となったのです。
果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、勝頼の首級がどのように扱われるのか、今から注目しています。
出来ることなら、ブン投げないで欲しいですね。
※参考文献:
『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
