「どうする家康」おんな城主瀬名、望月千代と直接対決!?第20回放送「岡崎クーデター」振り返り
信玄亡き後も、已然やまぬ武田勝頼(演:眞栄田郷敦)の猛攻。そんな中、最前線の浜松では徳川家康(演:松本潤)が病に寝込んでしまい、後方の岡崎に武田の調略が及びます。
松平信康(演:細田佳央太)の補佐役を務めていた大岡弥四郎(演:毎熊克哉)が武田と内通。岡崎城を乗っ取るクーデターを目論むも、山田八蔵(演:米本学仁)の密告により謀議が発覚。
瀬名(演:有村架純。築山殿)の機転によってクーデターは無事に鎮圧。その裏にうごめく武田の間者・望月千代(演:古川琴音)と直接対決に臨むのでした……。
今週も怪しさ満点で徳川領内をうろつき回る千代。誰も通報しないのが不思議である(イメージ)
もうタイトルを「どうする家康」から「おんな城主瀬名」に変えた方がいいんじゃないか、などと思ってしまうくらいに瀬名アゲ無双でしたね。
「我ながら情けない……」
主人公の座を奪われないよう、家康には奮起をうながしたいところですが、さっそく今週も振り返っていきましょう!
実は勝利していた信康の初陣劇中では武田軍を相手に苦戦していた信康。しかし江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀)』を読むと、かなり大きく違っていました。
……さて御初陣の御出馬あるべしとて。田嶺のうち武節の城を責給ふに。城兵旗色をみるよりも落うせ。足助の城兵も迯うせしかば。御初陣に二の城をおとし入給ひ目出たしとて御帰城あり。……
※『東照宮御實紀』元亀三年-天正二年「信康初陣」
初陣で武節城・足助城を攻略した信康。初陣で城を二つも落とすとは、さすが「海道一の弓取り」家康の御曹司よと、大いに戦意高揚したことでしょう。
順調すぎて、ストーリー的にはつまらないかも知れませんが、こうした信康の活躍を描いてほしいところ。
あるいは最初こそ苦戦しても、最終的には知略を駆使して勝利をもぎとったという演出でもいいですね。
おそらく制作者の狙いとしては、信康の活躍なんかよりも「死傷者がゴロゴロしていて、聖女よろしく献身的な看護に奮闘する瀬名」を、流血と死臭を恐れて強がる五徳(演:久保史緒里)と対象的に描きたかったのでしょう。
いつまでも父・織田信長(演:岡田准一)の威光を笠に、周囲を見下す五徳を叱りつける瀬名。確かに瀬名の方が正しいとは思いますが、叱り方にも方法というものがあります。
あんな「コイツはこんなひどいことを言っていますよ!」とアピールせんばかりに大声を上げては、ますます五徳が徳川家に居づらくなってしまわないでしょうか。
正論を振りかざして相手を追い詰めていくのは、大人のとるべき態度ではありません。
こういう時は優しく人のいないところへ連れて行き、一対一でしっかり諭すのが定石。もし「そんな余裕はない」という状況であれば、ひとまずは放っておくべきです。
ちなみに『徳川実紀』では、信康の勝利に奮い立った酒井忠次(演:大森南朋)と平岩親吉(演:岡部大)も、武田の城を六つも落としてベテランの貫禄を見せました。
嫁姑戦争も面白いのでしょうが、せっかく戦国時代なのですから、武将同士の駆け引きや心意気をこそ魅せて欲しいと思います。
大岡弥四郎の謀叛について五徳のリクエスト?により、鋸引きの刑に処された弥四郎(イメージ)藤田新太郎編「徳川幕府刑事図譜」より
信康と瀬名を殺して岡崎城を乗っ取り、勝頼に明け渡そうと企んでいた大岡弥四郎。こちらも『徳川実紀』を読んでみましょう。
……よて弥四郎をばめし囚て獄につなぎ。その家財を籍収せしむるにをよび。弥四郎が甲斐国と交通する所の書翰を得たり。その書の趣は。此度弥四郎が親友小谷甚左衛門。倉地平左衛門。山田八蔵等弥四郎と一味し勝頼の出馬をすゝめ。勝頼設楽郡築手まで打ていで先鋒を岡崎にすゝめば。弥四郎 徳川殿といつはり岡崎の城門を開かしめ。その勢を引き入れ 三郎殿を害し奉り。その上にて城中に籠りし三遠両国の人質をとり置なば。三遠の者どもみな味方とならん。しからば 徳川殿も浜松におはし。かねて尾張か伊勢へ立のき給はん。是勝頼刃に血ぬらずして三遠を手に入らるべしとなり。勝頼この書を得て大に喜び。もし事成就せんには恩賞その望にまかせんと。誓詞を取かはして築手まで兵を進めけり。かゝる所に悪徒の内山田八蔵返忠して信康君にこの事告奉りしより遂に露顕に及びしなり。……
※『東照宮御実紀附録』巻三「誅大賀弥四郎」
【意訳】弥四郎を捕らえて投獄し、全財産を没収したところ、中から勝頼の密書が発見された。その文面は「弥四郎・小谷甚左衛門(おだに じんざゑもん)・倉地平左衛門(くらち へいざゑもん)・山田八蔵が武田軍を岡崎城内に引き入れて信康を殺害。城内にいる家臣たちの妻子を人質にとれば、家康は孤立して尾張か伊勢へでも逃亡するだろう」云々。これは心変わりした山田八蔵の通報によって露顕したのであった。
……劇中では八蔵が心変わりしたキッカケとして、聖女瀬名にやさしく手当してもらったことを描いていました。しかし起請文に血まで垂らして(なぜ血判を捺さない?)おきながら、心変わりする動機としては弱すぎるように感じます。
ともあれ武田に内通した動機として「信長の命令で戦わされてばかりは嫌だ」などと叫び散らした弥四郎。
心情として解らなくもありませんが、それでいざ勝頼に寝返ったら、今度は対徳川・織田戦の盾にされるのは本望なんでしょうか?
武田家に駿河先方衆(するがさきがたしゅう)という言葉がありました。これはかつて信玄に降伏し、常に危険な最前線へ投入された今川旧臣らを指す言葉です。後に高天神城を守って討死する岡部元信(演:田中美央)らが有名ですね。
戦争は嫌だ、大義なんて【自主規制】くらえだ!……などと、戦国武将の口を借りて主張したい制作者の意図は察しました。
しかし戦国時代のリアリティとしては、いっそ「好条件を示されたから裏切ったんだよ文句あるか」と言われた方が、まだ納得できます。
謀叛を起こす弥四郎も、心変わりする八蔵も、今一つ動機が弱い。言い換えれば覚悟が足りない。他人事ながら、そんな苛立ちが残る場面でした。
瀬名の越権行為についてさて、家康以上にみんなから慕われ、勝頼さえもその存在を危険視する「おんな城主」瀬名。
どういう訳かすべてをお見通しだった彼女は、かつて(第7回放送「わしの家」)一向門徒うごめく本証寺で出会った千代を呼び出します。
(そんな場面はなかったものの、両者に面識があり、かつ千代が武田の回し者だったことを見抜いたものとして話は進むのです。ついてきて下さいね)
あやしげなお社に梅の枝をお供えしたら、それが招待の合図。よくそんなシステムをご存じでしたね?さすがは瀬名、裏社会の事情にも精通していらっしゃるのでしょうか。
「お友達になりましょう」
千代に微笑みかける瀬名。うわー怖い、これから火花を散らす女のバトル!家康なんかじゃ及びもつかない、高度な諜報戦が繰り広げられる……と言わんばかり。
うーん。どこからツッコミを入れていいものか迷いますが、とりあえず今回は
「いくら暗愚な夫であろうと、主君に無断で、敵の諜報員と接触するんじゃありません」
別に「妻たるもの夫を立てろ」なんてアホなことを言いたいのではなく、スタンドプレイに走る勝手な行動が、組織の安全を脅かすからです。
ドラマなんかでたまによくある「これは私の問題。だから私一人で決着をつける!」などとカッコつけて独断専行に及ぶアレですね。
個人的な好みもあるのでしょうが、筆者は子供心に「つまらんヒロイズムに酔っているんじゃないよ」などと興醒めに感じていました。
劇中では「家臣たちが取りこまれるくらいなら」とか何とか、自己犠牲がましい言い訳をくっつけたところで、それがかえって組織を危うくすることに変わりはありません。
これまでどんな実績があるのか存じませんが(確かそんな場面はなかったはず)、自分の調略手腕をどれほど過信しているのでしょうか。
仮に千代と接点を持つなら、それは家康はじめ重臣たちと認識を共有した上で、徳川家全体における戦略の一環として行わなければ無意味どころか逆効果です。
恐らくこれが五徳に知られ、信長パパに「(生意気にも私を叱りつけた)瀬名が武田に内通してるの!」と密告されてしまう展開なのでしょう。可哀想ですが、まったく弁護のしようがありません。
だって密談の内容を知っているのは瀬名と千代だけだし、千代にしてみれば徳川の内部崩壊を狙う又とないチャンスを、見逃すはずがないのです。
少なくとも筆者が千代の立場であれば、あらゆる手段を尽くして瀬名の謀叛を吹聴するでしょう。恐らく皆さんもそうすると思います。
全体的に家康よりも強く賢く優しく(そして当然美しい)瀬名さんですが、それに驕って徳川家の支配権≒庇護下から逸脱するのであれば、待っているのは悲惨な末路。それが築山殿事件です。
「頼まれもしないのに、わざわざ悲劇のレールを敷きつめ、ゴール目がけてまっしぐら」な瀬名さんに、誰かツッコミを入れてあげて下さい。
解ってますか?「笑顔にする」と「嘲笑される」の違い……天正六年武田四郎勝頼は志きりに遠三両州を侵掠せんとして志ばゝゞ勢を出せば。浜松よりも武田がかゝへたる駿州田中の城をせめたまはんとて彌生の頃御出馬あり。井伊萬千代直政ことし十八歳初陣なりしが。真先かけて手勢を下知する挙動。天晴敵味方の耳目を驚かす。其外小山の城責。国安川横須賀等の戦いつはつべしとも見えざる處に。……
※『東照宮御實紀』巻三 天正六年-同七年「天正六年勝頼侵遠参」
今回の謀叛鎮圧に大活躍?した井伊虎松(演:板垣李光人)。『徳川実紀』によると彼の初陣は天正6年(1578年)ですから、今回の活動はノーカンとなります。
それはそうと、前にさんざん家康を罵倒しておきながら、どういう風の吹き回しか家康に仕官を願い出た虎松(井伊直政、万千代)。
理由を聞いたところ「民が笑顔でいるから」だとか。大抵どこの御殿様も怖いのに、家康の話をする時はみんな笑顔になる……いやいや、バカにしているのが判りませんか?
家康がみんなの幸せを考えて政治を行い、その結果として民が笑顔になる(民を笑顔にする)のではありません。家康があまりに弱くて情けないから、民に嘲笑されているのです。
「笑われたらアカン。笑わせて差し上げるんや」そんな噺家さんの言葉を思い出します。
親しみやすいと言えば聞こえはいいものの、とりあえず平和な令和の現代ならばいざ知らず、弱い大将なんて侮られて攻め込まれるだけではないでしょうか。
(もっとも、この21世紀でも「相手が弱そう、すぐ征服できそうだから」という動機で侵略戦争を起こす国家は残念ながら存在します)
本作における登場人物は何だかんだと言いながら、理由もわからずみんな家康が大好きになっていく。
ドキドキお風呂回みたいな時間を少し削ってでも、家康がみんなから愛される理由を描写して欲しいと思っています。
あと、余談ながら虎松は徳川家臣団について「変ちくりんなのばっかり」などとほざいていますが、家康がこれを受け流したのはいただけません。
平手で張り飛ばし「わしのために命懸けで奉公してくれている者たちに対して、いかな童の戯言とて聞き捨てならぬ!」くらいは言って欲しいものです。
それと、井伊家の家格が他家に劣るとは言いませんが、譜代の家臣たちを嘲り笑えるほどやんごとなきお方でしたっけ?
「もう少し由緒ある家臣がいた方がいいでしょう?井伊家のおいらとか。」一人称おいらって、仮にも武士なんだから……別に自由ですけど、興醒めは否めません。
徳川家中で一番胡散臭いのが君だよ、と言わなかったあなたは大人ですね。
高天神城は(武田の手に)二度落ちるところで劇中、生前の信玄に落とされていた高天神城。それが今回再び落とされたことに違和感を覚えた方も多いのではないでしょうか。
実は高天神城は信玄の死後、間もなく家康に再び寝返っているのです。それを怒った勝頼が攻め落としたという流れになります。
「家康の支配下」⇒「信玄を恐れて武田に降伏」⇒「信玄の死後(勝頼じゃダメだと)家康に降伏」⇒「怒った勝頼に攻め落とされる」
このことから「勝頼は信玄さえ落とせなかった高天神城を攻略した名将」という評判が生まれたのです。
厳密に言えば、信玄は高天神城を落とせなかったのではなく「攻め立てるまでもなく降伏させた」のでした。
戦わずに勝ってこそ最上。まさに信玄が愛読した『孫子』兵法そのもの。しかし、そんな予備知識がなければ視聴者は混乱してしまうでしょう。
劇中で一度高天神城が奪われているのですから、再び奪われた描写をするのであれば、一度は徳川の手に戻っていたことを説明してあげた方が親切です。
多くの視聴者は「大河ドラマがキッカケで歴史に興味を持つ」のであって、決して「歴史の予備知識を仕込んでおかねば、大河ドラマを満足に楽しめない」とは思っていないでしょうから。
次週・第21回放送「長篠を救え!」さて、岡崎城の奪取に失敗した勝頼は、次なる標的として長篠城を狙います。
ここを守備するのは奥平信昌(演:白洲迅)、やがて亀姫(演:當真あみ)と結婚するため、次回あたりいい感じになるのでしょう。
また、信昌に仕える鳥居強右衛門(演:岡崎体育)が登場。公式サイトに「戦国版走れメロス」と紹介されている通り、全力疾走が見どころです。
いわゆる長篠の戦い(天正3・1575年5月21日)が始まるのですが、武田の騎馬軍団が火縄銃によって撃破されるお馴染みの名場面は描かれるのでしょうか。
……それにしても、今回は家康と瀬名の格差を痛感させられました。
第1回以来、ほとんど成長が見られない家康に対して、暴走気味ながら、女城主?としての貫禄を見せた瀬名。
果たして家康は主人公に、そして瀬名の夫にふさわしく成長できるのか、今後も見届けていきましょう!
※参考文献:
『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション 平山優【徳川家康と武田信玄』角川新書、2022年11月 鴨川達夫『武田信玄と勝頼 文書にみる戦国大名実像』岩波新書、2007年3月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan