クーデターを防いだ功労者!岡崎クーデター後の山田八蔵のその後【どうする家康】 (3/3ページ)

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そんな日々を送っていた矢先の天正16年(1588)、八蔵は口論相手によって殺害される悲運な最期を迎えます。

八蔵の死によって所領は全て没収され、山田家は断絶してしまいました。その後、天正17年(1589)に養子の重次が口論相手を斬り倒し、八蔵の仇討ちを達成します。翌年には300石を与えられ、山田家を再興しました。

最後に

岡崎城の事件で活躍した八蔵の最後は、非運としか言いようのない最後と知って残念に感じます。また、岡崎城の事件は八蔵の報告で発覚したものとあって、八蔵以外に思いとどまる者がいなかったことがわかります。

それくらい、武田家の影響力が凄まじいのと徳川家の脆さがうかがえる事件になったと考えられますね。

トップ画像(左):大河ドラマ「どうする家康」 公式サイトより

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