「どうする家康」”設楽原の戦い”に出して欲しい!長篠合戦図屏風に登場する武田軍の軽装武士は何者か?

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「どうする家康」”設楽原の戦い”に出して欲しい!長篠合戦図屏風に登場する武田軍の軽装武士は何者か?

時は天正3年(1575年)5月21日。織田・徳川連合軍の大軍を前に壊滅させられた武田の騎馬軍団。

真っ先駆けて突撃した山県昌景(演:橋本さとし)ら多くの名将が銃弾に斃れ、武田勝頼(演:眞栄田郷敦)は這々のていで甲斐国へ逃げ帰ります。

しかし甲州武士もただでは討たれず、多くの者たちが最期まで奮戦してその意地を見せつけました。

今回はそんな一人、とある無名武士(兵士?)の存在を紹介。果たして彼は何者なのか、可能な限りその実像に迫ってみましょう。

銃弾の雨が降りしきる中、脇差一振りで敵陣へ肉薄

それでは皆様、「長篠合戦図屏風」の右から三枚目をご覧ください(同屏風はたいてい六枚セットで描かれています)。

その中段よりやや下、馬から落ちた首のない武将が山県昌景です。昌景の首級を抱えて戻って来たのが山県家臣の志村貞盈(しむら さだみつ。又左衛門)。

……山縣三郎兵衛くらの前輪のはずれを鉄砲にて後へ打ぬかれ則ち討死あるを山縣被官志村頸をあげて甲州へ帰る……

※『甲陽軍鑑』巻第十九 五十二品「長篠合戦事」

武田家滅亡後は徳川家康(演:松本潤)に仕えて数々の武勲を重ねますが、ひとまず山県主従の下側で伏せている男に目を移しましょう。

やたら軽装な武士が一人。彼はいったい何者!?「長篠合戦図屏風」より

見れば鎧兜どころかまともな防具は何一つ装備しておらず、持っているのは刀(おそらく脇差)が一振りだけ。

オンラインゲームだったら、絶対に無課金ですね。絵のバリエーションによっては白髪なので、永年こうして戦い抜いてきたのかも知れませんね。

しかし仮にそうだとしたら、少なからず名前が残っていそうなものですが……。

彼の名前はわかりませんが、屏風に描かれている位置関係から山県勢か、あるいはすぐ後から来ている逍遥軒信連(しょうようけん のぶつら。信玄弟・武田信廉)の軍勢から先駆けたのでしょうか。

よく見ると頭上を銃弾が飛来しており、それでも前へ進む姿勢に不屈の闘志を感じます。

鉄砲だろうが何だろうが、当たらねばどうと言うこともあるまい……脇差一振りで敵陣へ肉薄。果たして無事に到達できたのか、つい応援したくなってしまいますね。

大久保忠世・忠佐兄弟との激闘に散る?

山県隊の奮戦。「長篠合戦図屏風」より

ちなみに「長篠合戦図屏風」を見ると、山県隊は敵陣に到達できぬまま鉄砲の前に壊滅した印象を受けるものの、実際には徳川方と交戦していました。

……山縣三郎兵衛千五百にて柵の内へおひこむ、されども家康強敵のゆへ、又くひつき出る、山縣衆は味方左の方へ廻り敵の柵の木いはざる右の方へおし出し、うしろよりかゝるべきとはたらくを、家康衆みしり、大久保七郎右衛門てうのはの差物をさし、大久保二郎右衛門金のつりかゞみ(つりがね?)のさし物にて、兄弟と名乗て山縣三郎兵衛衆の、小菅五郎兵衛、廣瀬郷左衛門、三科傳右衛門此三人と詞をかわし、追入おひ出し九度のせり合あり、九度めに三科も小菅も手負引のく……

※『甲陽軍鑑』巻第十九 五十二品「長篠合戦事」

大久保忠世(演:小手伸也)・大久保忠佐(ただすけ。忠世の弟)兄弟の部隊を相手に九度の押し合いに及んだそうです。

山県隊の小菅五郎兵衛(こすげ ごろべゑ)・廣瀬郷左衛門(ひろせ ごうざゑもん)・三科傳右衛門(みしな でんゑもん)らは奮戦の末に負傷して退却、昌景は銃弾に斃れてしまいます。

この乱戦において、恐らく彼も討死してしまったのでしょう。脇差一振りでどこまで戦えたのか、武勇の記録が残されておらず残念でなりません。

終わりに

以上「長篠合戦図屏風」に描かれている、やたら軽装な武士について紹介してきました。

名前が伝わっていないので実在性は不確かながら、各バージョンで描かれているため、元となった伝承くらいはあるのかも知れません。

果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」に彼の登場はあるでしょうか。是非とも彼のような無名兵士にもスポットライトを当てて欲しいところです。

※参考文献:

高坂弾正ら『甲陽軍鑑 上』国立国会図書館デジタルコレクション

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