戦国時代に幕を引いたのは豊臣か徳川か…決定的な「乱世の終わり」はいつだったかを考察

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戦国時代に幕を引いたのは豊臣か徳川か…決定的な「乱世の終わり」はいつだったかを考察

乱世はいつ幕を閉じたか

「戦国時代が終わったのはいつか」と問われたら、日本史が好きな皆さんはどう答えるでしょうか。

おそらくこれは、日本史に詳しければ詳しいほど迷ってしまうのではないでしょうか。実際、研究者の間でも、戦国時代がいつ始まっていつ終わったのかについては諸説あります。

そうした説をざっと紹介すると、まず、豊臣秀吉によって行われた奥州仕置きで、全国の国分けにケリがついたときを区切りとするものがあります。

また、関ケ原の戦いを文字通り「天下分け目」だとして戦国時代の終わりだとする考え方も存在します。

関ケ原遠景

ちなみに時代区分の呼び名として、織田信長が京都から足利義昭を追放したことで、室町幕府が幕府として機能しなくなった時点から織豊時代と呼ばれることも多いです。もちろん、多いといってもあまり素人向けではないでしょう。

ただ、客観的に見て決定的だと思われるのは、やはり1615年の大坂夏の陣によって豊臣家が滅亡したことでしょう。

これによって、天下人である徳川に対抗できる大名はいなくなり、結果的に武力衝突の芽は完全に摘まれたことになります。これを、当時の元号である「元和」と、武器を収めることを意味する「偃武」という言葉をあわせて元和偃武といいます。

個人的には、研究者の学説はさておき、やはりこの時点が「乱世の終わり」と呼ぶにふさわしいと思うのですが、いかがでしょうか。

戦国時代の気風の残滓

しかし、豊臣氏が滅亡してからも、乱世の名残はくすぶり続けました。

例えば、戦国時代の気風を残す大名たちが統治者として各地に派遣され、慣れない統治を任されたことで領民に負担がかかった事例は数多くあります。その結果として1637年に発生したのが、徳川時代最大の内乱と言われる島原の乱です。

島原の乱で一揆者たちが籠城した原城址(本丸跡)

また、幕府もそうした戦国気質の大名たちを徹底的に統制しました。彼らが反乱を起こさないように勢力を削り、時に言いがかりとしか思えないような難癖をつけて改易や減封を行っています。

ところが、今度は統制が厳しすぎて、武士の身分を失ってしまった牢人たちが幕府転覆を企んだ慶安の変が発生。さすがの幕府も統制をゆるめ、四代将軍・家綱の時代には末期養子の禁について緩和するなどして、牢人が発生するのを防止する策を採るようになりました。

慶安の変の首謀者の一人・由井小雪の首塚(静岡県葵区・菩提樹院)

こうして見ていくと、戦国時代の気風とその余波は、元禄時代あたりまでは根強く残っており、幕府もルールの運用に頭を悩ませていたことが分かります。

年表の上では、戦国時代は終わったといっても、いわゆる乱世の空気を完全に払拭するまでには長い時間がかかっていたことが理解できるでしょう。

参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022

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