赤備、再び?設楽原の戦いで討死した山県昌景(橋本さとし)の遺志を継ぐ山県昌満【どうする家康】 (2/3ページ)
文中に言及される『甲陽軍鑑』そして『信長公記』の記述から、3月7日ごろに落命したものと考えられます。
……山縣同心三科廣瀬、辻弥兵衛、御供仕るを……
※『甲陽軍鑑』品第五十七
この三科傳右衛門(みしな でんゑもん)と廣瀬郷左衛門(ひろせ ごうざゑもん)は五郎兵衛と共に長篠で戦った仲間でした。
……山縣三郎兵衛衆の、小菅五郎兵衛、廣瀬郷左衛門、三科傳右衛門此三人と詞をかわし、追入おひ出し九度のせり合あり、九度めに三科も小菅も手負引のく、其上山縣三郎兵衛くらの前輪のはずれを鉄砲にて後へ打ぬかれ則ち討死あるを山縣被官志村頸をあげて甲州へ帰る……
※『甲陽軍鑑』巻第十九 五十二品「長篠合戦事」
【意訳】山県勢は小菅・廣瀬・三科の三人が力を合わせ、徳川勢と九度にわたる激闘を演じた。