織田信長の覇業を支え、死出の旅に従った森乱(演:大西利空)こと森成利とは【どうする家康】 (3/4ページ)
三男:森成利(なりとし) 四男:森長隆(ながたか)……天正10年(1582年)本能寺の変で討死。 五男:森長氏(ながうじ)……天正10年(1582年)本能寺の変で討死。 六男:森忠政(ただまさ)……寛永11年(1634年)初代美作津山藩主として死去。 長女:関成政(せき なりまさ)室 次女:青木秀重(あおき ひでしげ)室 三女:木下勝俊(きのしだ かつとし)室
信長の小姓として活躍『兼山記』によると、乱法師こと森成利が信長に仕えたのは13歳となった天正5年(1577年)5月。弟の森坊丸(ぼうまる。長隆)や森力丸(りきまる。長氏)と共に信長のそば近く奉公します。
利発であったことから、石山本願寺との和睦交渉に立つなど外交でも活躍。天正9年(1581年)には近江国に知行500石を与えられました。
『信長公記』によれば天正10年(1582年)3月に武田勝頼(演:眞栄田郷敦)が滅亡した後、兄の森長可が信州川中島へ領地替えとなった後を継いで美濃岩村城主に。
『寛永伝』の記述だとその所領は5万石、信長による寵愛と厚遇が判ります(なお、成利自身は現地に行かず、長可の家老であった各務元正が城代を務めました)。
本能寺の変