「どうする家康」壊れてしまった信康。母はついに決意する。第23回放送「瀬名、覚醒」振り返り

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「どうする家康」壊れてしまった信康。母はついに決意する。第23回放送「瀬名、覚醒」振り返り

織田信長(演:岡田准一)の「犬」として対武田戦の最前線に駆り出され、殺戮の果てに心身を病んでしまった松平信康(演:細田佳央太)。

徳川家康(演:松本潤)は信長に命じられるまま伯父の水野信元(演:寺島進)を暗殺するわ、継父の久松長家(演:リリー・フランキー)は家康を見限り隠居してしまうわ……。

このままでは戦さは終わらず「織田の楯」として果てしなく戦わされるばかり。

ふがいない夫に代わって愛する我が子を守るため、瀬名(演:有村架純。築山殿)はついに覚醒します。

武田勝頼(演:眞栄田郷敦)と内通して信長を倒し、戦さを止めようと決意するのでした。
……ってお方様、徳川家の置かれている状況を理解されていますか?

織田と武田にはさまれた徳川(イメージ)

織田を裏切って武田と手を結んだところで、今度は攻める方向が東から西へ変わるだけのこと。要するに「武田の楯(いわば三遠先方衆)」にされる未来しかありません。

果たしてそこまでちゃんと考えているのかいないのか……ともあれNHK大河ドラマ「どうする家康」第23回放送「瀬名、覚醒」、今週も気になるトピックを振り返っていきましょう!

勝頼なんて怖くない!信康の見事な殿軍ぶり【小山城の戦い】

……君はこの勢に乗じ引つゞき小山の城を責め給ひしに。勝頼城々責とらるゝと聞て。ふたたび兵をつのり小山の後巻すと聞えしかば。前後に敵をうけん事をいかゞなりとて。本道にかゝり伊呂崎をへて引とりたまへば。城兵これを喰留んとて打て出る。御勢大井川のむかふにいたる時。三郎君あながちに乞はせたまひてみづから殿をなしたまふ。君は上の■まで乗上給ひ後をかえりみ給ひ。信康が後殿のさま天晴なれ。あの指揮のさまにては勝頼十万騎なりともおそるゝにたらずとよろこばせ給ひ。諏訪原の城に入たまふ。……

※『東照宮御実紀』巻二 天正三年「勝頼評信康」

劇中では家康の意に背く形で殿軍(しんがり)を引き受けていた信康。

武田の大軍を迎え撃つ信康(イメージ)

確かに文中「三郎君あながちに乞はせたまひてみづから殿をなしたまふ(信康が志願して自ら殿軍を務めた)」とありますが、これはポジティブに解してよいかと思います。

「父上、ここはそれがしが!」

「うむ。任せたぞ!」

迫り来る勝頼の大軍を見事に食い止める信康に、家康はご満悦。

「天晴なれ。あの指揮のさまにては勝頼十万騎なりともおそるゝにたらず(あっぱれなり。あの戦いぶりならば、勝頼が十万の兵を率いて来ようが恐れるに足りぬわい)」

ちょっと親バカな気もしますが、長篠の合戦においても勝頼が信康の采配ぶりに驚いている記述もあります。

なのでやはり「海道一の弓取り」家康の将器をしっかりと受け継いだのでしょう。

確かに人の命は大切ですが、せっかく戦国モノなんですから、勇猛果敢な三河武士の活躍を魅せて欲しいものです。

愛嬌ある小悪党・水野信元の最期

……三年佐久間信盛が讒にあひて、右府の憤をかうぶり、岡崎にのがる。右府使して信元を殺さむと乞れしかば、東照宮にもやむことを得たまはず、信元を喩され三河国大樹寺にをらしめ、十二月二十七日石川数正、平岩親吉がために害せらる。……

※『寛政重脩諸家譜』巻第三百二十八 清和源氏(満政流)水野

天正3年(1575年)12月27日。三河大樹寺に逃げ込んでいた水野信元が、石川数正(演:松重豊)と平岩親吉(演:岡部大)に暗殺されました。

劇中では信元を刺した親吉が、何だかずいぶん怯えていましたね。人を殺すのは初めてですか?これまで幾多の戦場を駆け巡った勇士が、そんなことでは困ります。

そもそも本作における水野信元って、死を惜しまれるようなキャラクターでしたっけ?

いくら伯父とは言え、今まで家康陣営とはしばしば対立していた延元。その死は小悪党に相応しい≒取るに足りない最期と感じられました。

小悪党の最期(イメージ)

「俺はお前への見せしめなんだ」

ところで見せしめに粛清される無頼漢キャラと言えば、前作「鎌倉殿の13人」に登場した上総介広常(演:佐藤浩市)を思い出します。

狂暴ながら純粋な一面も併せ持っていた広常。主人公のよき相談役として感情移入させてからのロスに、多くの武衛(ファン)たちが涙したものです。

そういう丁寧な積み重ねを飛ばして、いきなり「伯父上が」と言われても戸惑ってしまいますね。

なお『松平記』によると、信元は武田方の美濃岩村城へ兵糧を提供しており、これを佐久間信盛(演:立川談春)が密告したのでした。

信元の遺領は佐久間が奪い取り、やがて信元の遺児が奪い返すのですが、それはまた別の話し。

実際に近眼だった於愛の方

もしかしたら、南蛮交易によって入手していた?いや、だとしたらこんな気軽に扱われていないはず……(イメージ)

イチジク(※)を食べようと台所に行ったら、いきなりお尻を引っぱたかれた「神の君」。

(※)余談ながらイチジクは中東から地中海にかけて原産され、日本には江戸時代前期に長崎の出島を通じてもたらされたと伝わります。

引っぱたいた於愛の方(演:広瀬アリス)は近眼で家康と分からず、また井伊万千代(演:板垣李光人)がナンパに来たと思ったとか。

後に家康の三男・徳川秀忠(ひでただ)と四男・松平忠吉(ただよし)を生む彼女は、この時点で前夫と死に別れていました。

家康の「未亡人好き(経産婦なら、自分の子供も産んでくれる可能性が高い)」は、彼女から始まっています。

女子 実は戸塚五郎大夫忠春が女。母は正勝が女、蓑笠之助正尚に養はれて義勝に嫁し、義勝戦死の後清員が養女となる。

天正六年三月浜松にめされ、東照宮につかへたてまつり西郷の局愛子と称す。是、台徳院殿及び薩摩守忠吉卿の母堂たり。十七年五月十九日逝す。年二十八。松誉貞樹龍泉寺と號す。駿府の龍泉寺に葬る。寛永五年従一位を贈られ、寶臺院の號を賜ふ。これより寺號をもあらためて寶臺院といふ。

※『寛政重脩諸家譜』三百六十九 清和源氏(支流)西郷

西郷清員(さいごう きよかず)の養女であった彼女は天正6年(1578年)3月に家康の側室となり、西郷局(さいごうのつぼね)あるいは愛子(あいこ)と呼ばれるようになりました。

大河ドラマでは元から愛という名でしたが、順番が逆のようです。

気立てがやさしく、皆から愛されたという西郷局(画像:Wikipedia)

そして翌天正7年(1579年)4月7日に秀忠、天正8年(1580年)には忠吉と相次いで産んだのでした。

……七年の卯月七日に浜松の城にしては三郎君生れたまふ。是ぞ後に天下の御ゆづりをうけつがせ給ひし   台徳院太政大臣の御事なり。御母君は西郷の局と申。さしつづき翌年この腹にまた四郎君生れ給ふ。是薩摩中将忠吉卿とぞ申き。……

※『東照宮御実紀』巻三 天正六年-同七年「天正七年秀忠生」

文中の「三郎君(〜ぎみ)」は信康(岡崎三郎)ではなく、三男を意味します。

於愛が産んだ男児を家康が可愛がったのは言うまでもなく、入れ替わるように瀬名と信康は粛清されるのでした。

天正6年(1578年)
3月 於愛が家康の側室となる

天正7年(1579年)
4月7日 於愛が秀忠を生む
8月29日 瀬名が処刑される
9月15日 信康が切腹させられる

ちなみに彼女は実際に近眼だったそうですが、今後はめんどくさいのでその設定は恐らく忘れ去られるでしょう。

ともあれ瀬名と交代予定の於愛が、どんな活躍を見せてくれるのか、今後も楽しみですね。

信康の暴走と五徳の密告

凶行に及ぶ信康(イメージ)

さて、新たな側室候補が見つかったところで、心身を壊した信康が僧侶を斬り殺す暴挙に出ます。

それにしても、家臣たちは何をやっているんでしょうか。たとえ主君の御曹司とは言え、抜き身の刀を持った男がいたら、まずは抜刀せずとも女性たちをかばう仕草くらい見せて欲しいものです。

ちなみに、信康の暴挙については元ネタがあります。

一 三郎殿鷹野に出給ふ折ふし道にて法師を見給ひ今日得物の奈きハ此法師に逢たるゆへなりとて彼の僧が首に縄をつけて力革とかやに結付馬をはせて其法師を引殺し給ふ事

※『後風土記巻第十六』「築山殿凶悍 付 信康君猛烈の事」

これは五徳(演:久保史緒里)が信長に密告した書状の一部。

鷹狩の成果がなくてムシャクシャしているところへ、出くわした僧侶を馬で引きずり殺したと言います。

一 三郎殿常々物あらき所行おほし我身召仕の小侍従と申女を我目前にて刺殺し其上女の口を引さき給ふ事

一 去頃三郎殿踊を好みて見給ひける時踊子の衣裳よろしからず又おどりさまあしきとて其踊子を弓にて射殺し給ふ事

※『後風土記巻第十六』「築山殿凶悍 付 信康君猛烈の事」

他にも五徳の侍女である小侍従(こじじゅう)を五徳の目の前で刺し殺したり、気まぐれに踊り子を射殺したり、まぁ中々のサイコパスっぷりです。

他にも瀬名から受けた嫁いびりや、武田勝頼との内通など様々に書き立てました。

一 築山殿悪人にて三郎殿と吾身の中をさまさま讒して不和し給ふ事

一 我身姫ばかり二人産たるは何の用にか立ん大将ハ男子こそ大事奈れ妾あまた召て男子を設け給へとて築山殿すゝめにより勝頼が家人日向大和守が娘を呼出し三郎殿妾にせられし事

※『後風土記巻第十六』「築山殿凶悍 付 信康君猛烈の事」

【意訳1】瀬名は私と信康様の仲を引き裂こうと、悪口ばかり言いふらしています。

【意訳2】瀬名は私が女児しか産まないといびり、正室たる私を無視して勝手に側室(しかも武田方の女性)を迎えてしまいました。

……これがいわゆる「築山殿事件」につながるのですが、五徳にしてみたら、信長に助けを求める気持ちだったでしょうね。

第24回放送「築山へ集え!」

滅敬(穴山信君)の診察を受ける信康(イメージ)

一 築山殿甲州の唐人医師減敬といふ者と密会せられ剰へ是を便とし勝頼へ一味し三郎殿を申すゝめ甲州へ一味せんとする事

※『後風土記巻第十六』「築山殿凶悍 付 信康君猛烈の事」

さて、何やら企み始めた瀬名は、望月千代(演:古川琴音)の手引きで唐人医師・減敬(げんきょう)と密会を始めました。

劇中では穴山信君(演:田辺誠一)が扮しており、名前も滅敬(めっけい)となっていましたが、これは文献による誤差(表記ゆれ)の範囲内です。

夫を完全に無視して(むしろ意に反して)武田との独自外交を進める瀬名。愛する信康を危険にさらしてまでやることなのでしょうか。

※もし筆者が瀬名の立場であれば、早く家康に側室を進めて男児を産ませ、母子そろって出家する道を選びます。

次週の第24回放送「築山へ集え!」では、文字通り瀬名の下へみんなが集まるのでしょう。よもやホームパーティではないでしょうが……。

死んだと思っていた女大鼠(演:松本まりか)や、今川氏真(演:溝端淳平)&糸(演:志田未来)夫婦も再登場(正直、氏真はどの面下げて瀬名の前に出られるのでしょうね)。

ともあれ、何やかんやで盛り上がりそうな「どうする家康」、来週の展開に期待です!

※参考文献:

『NHK大河ドラマ・ガイド どうする家康 後編』NHK出版、2023年5月 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション 『寛政重脩諸家譜 第二輯』国立国会図書館デジタルコレクション 『改正三河後風土記 上』国立国会図書館デジタルコレクション 黒田基樹『家康の正妻 築山殿 悲劇の生涯をたどる』平凡社新書、2022年10月 高柳金芳『徳川妻妾記』雄山閣、2003年8月 中村孝也『家康の族葉』碩文社、1997年4月

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