瀬名の後継者?徳川家康の後室・旭姫(山田真歩)とはどんな女性?その生涯をたどる【どうする家康】 (2/5ページ)
夫は佐治日向守(さじ ひゅうがのかみ)と名乗ったとも、あるいは元から別の織田家臣・副田吉成(そえだ よしなり。甚兵衛)に嫁いでいたとの説もあります。
※織田家臣に嫁がせた方が、出世欲の塊だった秀吉らしく思います。あるいは、はじめ農家に嫁いでいたのを、出世のために無理やり離縁・再婚させたのかも?知れません。
この辺りは諸説あるようで、いずれにしても家康に嫁ぐ以前のことはよく分かっていないようです。
徳川・羽柴両家の橋渡しを務めるさて、天正14年(1586年)に徳川家へ嫁がされた旭姫。秀吉は元夫(佐治日向守?副田吉成?)に慰謝料がわりに捨扶持の500石を与えます。
面目を潰された元夫は、これを恥じて自害したとも、出家遁世したとも言われます。いずれにしても、幸せな末路でなかったことは想像に難くありません。
話を戻して旭姫は4月に大坂城から京都の聚楽第に入り、浜松へ向けて5月に出発しました。
道中の護衛は浅野長政(あさの ながまさ)・滝川儀太夫(たきがわ ぎだゆう)・津田四郎左衛門(つだ しろうざゑもん)・富田知信(とだ とものぶ)そして織田長益(おだ ながます。織田有楽斎)に滝川雄利(かつとし)も加わり、150余名という大所帯。