瀬名の後継者?徳川家康の後室・旭姫(山田真歩)とはどんな女性?その生涯をたどる【どうする家康】 (3/5ページ)

Japaaan

旭姫の輿入れ(イメージ)

まさに鳴り物入りで浜松へ到着したのが5月14日。間もなく駿府へ移ったので、人々からは駿河御前(するがごぜん)と呼ばれました。

かくして秀吉の義弟となった家康。しかしなおも上洛≒臣従しなかったため、秀吉は徳川家に嫁いだ妹の様子伺いという名目で、母の大政所まで人質に出したのです。

ここまでされては流石の家康も意地を張ってはおれず、とうとう上洛して秀吉に臣従する態度を表明。小牧・長久手の合戦よりおよそ二年間の対立から和解したのでした。

エピローグ

やがて大政所も解放され、天正16(1588年)になると今度は旭姫の方から母の病気見舞いに上洛。

病気がよくなったので一度は帰国したものの、再び上洛するとそのまま聚楽第に住むようになりました。

徳川家としても、別につなぎ止めておきたい訳ではなかったのでしょう。

そして天正18年(1590年)1月14日、旭姫47歳で世を去ったということです。

彼女は東福寺(京都府京都市。臨済宗)に葬られ、その法名を南明院殿光室宗王大禅尼(なんみょういんでんこうしつそうおうだいぜんに)と言います。

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