織田信長の遺体消失とその行方について。実はあの人が持ち出していた…? (3/3ページ)

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このエピソードは『信長公阿弥陀寺由緒之記録』だけではなく、1680年代に成立した京都の地誌『雍州府志』にも記されているので、信憑性は高いように思われます。

不自然な点も

しかし歴史学者の磯田道史は、この記録に注目しつつも疑問を呈しています。

本能寺というのは決して広大な敷地の寺ではありませんでした。明智光秀の軍勢に気付かれずに敷地内で信長の遺体をこっそり焼いて、それをこっそり持ち出したというのは無理があるというのです。

言われてみればそうで、上記の記録によると、信長の遺体を焼いていた武士たちは十人はいたとされており、十人の男が集まって遺体を焼いていたら普通は嫌でも気付くものです(実際、清玉上人は気付いているわけです)。

秀吉によって移築された後の現在の本能寺

たた、結果を見れば信長の遺体は行方不明ですし、阿弥陀寺には信長の墓があります。しかもその経緯を記録した古文書まであるのですから、あとはその、本能寺の狭い敷地内で信長の遺体をこっそり火葬できたのはなぜなのか? という点が解決されれば、意外とスッキリ説明がつくかも知れませんね。

信長の遺体はどこにあるのか、という点だけに着目するのではなく、結局のところ、「その時」の本能寺では何が起こり、誰がどう動いたのかというシミュレーションが必要なのでしょう。

その上で、信長の遺骨を清玉上人が持ち出すチャンスがあったことが証明できれば、それは有力な回答のひとつになると言えるでしょう。

参考資料
磯田道史『日本史を暴く』中公新書・2022年

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