武田の血筋は現代まで…戦国時代を生き延びて武田の血を残した2人の信玄の子ども (2/3ページ)
甲州征伐の際、信親は甲斐国の入明寺に匿われていましたが、勝頼自害の知らせを聞くと同寺で自害しました。
信親死後、穴山信君の娘との間に儲けた信道は父と同じく出家し、隠れ住んだことで織田の残党狩りから逃れました。その後は徳川家康と接触し、武田遺臣でありながら徳川家臣となった大久保長安の庇護を受けます。
しかし、大久保長安事件で配流されてしまいます。時を経て許された後、信道の孫にあたる信興が徳川綱吉に謁見した元禄14年(1701年)に高家として認められました。以後、信親から始まる武田家は「高家武田家」として現代まで残りました。
安田の名を継いだ武田信清
次に紹介するのは信玄の六男・武田信清(たけだ-のぶきよ)です。
