武田の血筋は現代まで…戦国時代を生き延びて武田の血を残した2人の信玄の子ども (1/3ページ)
天正10年(1582)の天目山の戦いで滅亡してしまった甲斐武田家。しかし、武田の名跡は滅んでおらず、後世まで血を残した信玄の子どももいました。
今回は戦国時代を生き延びて武田の血を残した2人の信玄の子どもをご紹介します。
盲目の僧侶・海野信親
最初に紹介するのは信玄の次男・海野信親(うんの-のぶちか)です。
信親は生まれつき盲目(※近年では幼少期に失明した説も有り)で、永禄4年(1561)に海野幸義の娘に嫁ぎ、海野氏を継いだ後に出家。一向宗の僧である長延寺実了の弟子となり、竜芳と名を改めました。
信親は盲目だったために表舞台に出られず、永禄8年(1565)に兄の武田義信が謀反の疑いで処刑される義信事件後の武田家は、信玄四男の勝頼が継ぎました。ちなみに、信玄三男にあたる信之は、天文22年(1553年)に早世しています。