びっくり、仏像の起源はなんとギリシャ彫刻だった?!元々仏教には仏像がなかった

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びっくり、仏像の起源はなんとギリシャ彫刻だった?!元々仏教には仏像がなかった
そもそものそもそもは、アレクサンダー大王がきっかけ

仏教といえば寺院にある仏像、と連想する人も多いと思います。でも実は初期仏教には仏像が無かったのを知っていますか?

仏教は紀元前430年にゴーダマ・シッタールタにより布教されました。釈迦入滅後は、釈迦の象徴として仏足石・輪宝・仏伝図といったものが作られました。輪宝というのは説法を法輪の形に石に刻んだものです。

また、お釈迦様の遺骨を「仏舎利」といいますが、それを納める塔「ストゥーパ」も建てられ崇められました。ストゥーパは日本では「卒塔婆」という字があてられていますね。これが三重塔、五重塔の原型になっていきます。

さて話を最初に戻すと、紀元1世紀のガンダーラ地方(現在のアフガニスタン北部にあたり)に仏教なるものが伝わって初めて、仏像が造られることになります。

元々、紀元前330年にバクトリアという王国があり、ギリシャからマケドニアを治めたアレクサンダー大王が東方遠征してこの地を征服します。彼はバクトリア王の娘と子供をなし、この地にギリシャ人を次々と入植させ、大王没後には彼の遺臣がバクトリアと隣接するガンダーラ地方も含めて治めていきます。

そしてこの地に仏教が知られるようになった時、釈迦と古代ギリシャ神話の神々と比較するために、ギリシャ人の手によって仏像も造られるようになったということです。

元々バクトリアにはイラン人のゾロアスター教が根付いていたため、イラン文化も融合し、俗に「ガンダーラ美術」と呼ばれる芸術形態ができあがります。

そのため「ガンダーラ仏像」というのはどこか西洋人めいていて彫りが深いのです。
このアレクサンダー大王による各地に起こった西洋と東洋の融合が、美術史では「ヘレニズム文化」と呼ばれています。

アレクサンダー大王が生まれたペラの位置(Wikipediaより)

バクトリアの位置(Wikipediaより)

金剛力士像はヘラクレス⁉

レルネーのヒュドラと戦うヘーラクレース(Wikipediaより)

法隆寺の金剛力士像(Wikipediaより)

当たり前ですが、仏像はその地の民族に段々と似せて作られるようになります。その方が親和性があるからですね。ですので仏像は中国を経由すると中国風の容貌に変化し、そして日本に伝来したというわけです。

ちなみに仏像は木造のイメージが強いかもしれませんが本来はそうではなく、大陸では石仏・青銅仏が多く作られています。日本へは運搬に便利であること・国内に木材が豊富なことから、模造も木仏が自然と主流になったようです。

そして金剛力士像のモデルはギリシャ・ローマ彫刻のヘラクレスを模したものが原型となっている説も。ヘラクレスはギリシャ神話の英雄。手に持っていた棍棒は金剛杵へ、ライオンの毛皮は甲冑の意匠へと原形を残しています。ガンダーラ地方では仏像の横にヘラクレス像が彫られた石の壁画も残されているそうです。

アレクサンダー大王がバクトリアに残した息子の名も、神話にあやかって「ヘラクレス」。なにやら因果を感じずにはいられません。

そのヘラクレスが日本人におなじみの金剛力士像として目の前にあるというのも、不思議なものですね。

参考:『森の日本史』(岩波ジュニア新書)『仏像なんでも辞典』(理論社)

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