世界初の「バービー人形」生産国はなんと日本だった!アメリカと日本の経済・市場構造の違いも解説

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世界初の「バービー人形」生産国はなんと日本だった!アメリカと日本の経済・市場構造の違いも解説

知られざるバービー人形の生産地

皆さんはバービー人形はご存知でしょうか。アメリカを代表する玩具メーカー・マテル社が販売している子供向けの着せ替え人形で、1959年の販売スタート以降、全世界で10億体も売れたとされています。

実はこのバービー人形は、最初の頃は日本で生産されていました。終戦直後の時期のことです。

当時の日本はアメリカに比べ人件費が安く、繊維産業が盛んなので人形本体と衣装とをまとめて発注できるという理由から注目されたのです。それで、玩具問屋と小売を営む(株)国際貿易との交渉によって日本での生産が決まったのでした。

当時、アメリカよりも日本の人件費が安かったのは、いくつかの要因が考えられます。一つは、日本の経済発展がアメリカに比べて遅れていたことです。

1950年代から1960年代にかけて、日本は第二次世界大戦の敗戦からの復興を進めていましたが、アメリカは戦後の好景気を享受していました。その結果、日本の一人当たり国民所得はアメリカの約3分の1にとどまっていました。

日本独特の市場構造

日本で、安価でバービー人形を生産することができたもう一つは、日本の労働市場の構造がアメリカと異なっていたことです。

日本では、終身雇用や年功序列制度が一般的でした。これらの制度は、労働者に安定した雇用を保証する一方で、賃金を年齢や勤続年数に応じて上げることでモチベーションを維持する仕組みだったといえます。

そのため、若い労働者や女性労働者などは賃金が低く抑えられる傾向がありました。一方のアメリカでは終身雇用や年功序列制度はあまり普及しておらず、賃金は能力や業績に応じて決まることが多かったです。

このように、日本の経済水準が低かったことと、労働市場の制度がアメリカと異なっていたことが人件費の差に影響したと考えられます。

世界のバービー人形

こうした背景もあって、バービー人形は戦後に日本で作られ、1959年にアメリカで発売されました。日本で正式に発売されたのは1962年からです。

このバービー人形製造にあたっては、衣装デザイナーのシャーロット・ジョンソン女史が日本に派遣され、滞在先の帝国ホテルにミシンを持ち込み、一年以上も試作を繰り返しながら完成させたというエピソードもあります。

ここまでの話を読むと、アメリカが低賃金で日本をこき使ったかのように見えますが(実際そういう側面もあるのですが)、実態としてはどちらかというと日米が二人三脚で人形背う像を行っていたと言えるようです。

ちなみに現在、バービー人形は主に中国で生産されています。マテル社は1980年末期から中国での生産にシフトし、現在では中国の工場がバービー人形の約80%を生産していると言われています。

当地では人形の品質や安全性に関する厳しい基準を満たすために、専門の職人や技術者が働いています。また中国国内でもバービー人形の需要は非常に高く、2019年には中国市場での売り上げが前年比22%増加したと報告されています。

参考資料
TapTrip
Vogue Japan

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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