何で私が猿の妾に?羽柴秀吉に嫁いだ織田信長の娘「三ノ丸殿」とは【どうする家康】 (2/3ページ)
※『寛政重脩諸家譜』巻第四百八十八 平氏(清盛流)織田
ざっと読んでみて気づいたのですが、九番目の娘だけ豊臣太閤秀吉の「妾」となっていました。
妾(めかけ)とは、正式な妻である室(しつ。正室や側室など)や妻(身分が低い者の妻)とは異なり、一段低い扱いとなります。現代で言うなら愛人枠、よくて内縁関係でしょうか。
それにしても、他の8人はみんな「室」として遇されているにも関わらず、この三丸(三ノ丸殿)だけ「妾」扱いされているのは不憫ですね。
これは秀吉が「旧主の娘を妾にしてやったぞ!わしはそれだけ偉くなったんじゃ!」と子供じみたアピールをしたかったのでしょうか。
あるいは秀吉は歓迎したけど、織田家側がそれを嫌って「あの娘は猿の妾にくれてやりました」と切り捨てたかったのかも知れません。
実際のところは分かりませんが、大事な姫を成り上がり者の妾に差し出さねばならなかった織田家側の思いは察するに余りあります。
それでは、そんな三ノ丸殿の生涯をたどってみましょう。
三ノ丸殿の生涯を駆け足でたどる
そんな三ノ丸殿は生年不詳、母親は長兄・織田信忠(のぶただ)の乳母・慈徳院(じとくいん)と伝わります。
本能寺の変で父が横死を遂げると、異母姉である相応院(そうおういん。信長次女)の夫・蒲生氏郷(がもう うじさと)に保護されました(養女となった説も)。