「どうする家康」おんな城主お市の最期。茶々に受け継がれる天下取りの野望。第30回放送「新たなる覇者」振り返り

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「どうする家康」おんな城主お市の最期。茶々に受け継がれる天下取りの野望。第30回放送「新たなる覇者」振り返り

さて、今週の我らが神の君は?

「清洲会議」……信長の後継者選び、秀吉の織田家乗っ取り 「天正壬午の乱」……徳川VS北条、武田旧領の分捕り合戦 「賤ヶ岳の合戦」……柴田勝家&お市の最期

ざっくりコチラ三本でお送り下さいました。演者の皆様、いつも誠にありがとうございます。

今週における最大の見どころは何と言っても女城主と化したお市(演:北川景子)の戦さ装束……あの、それはお兄様(信長)のお下がりでしょうか?(サイズ調整とかしたのかも知れませんね)

出陣の支度をする勝家とお市。喜多川歌麿筆

しかしせっかく女城主を演じるなら、劇中ではほぼ全スルーされてしまった賤ヶ岳の合戦で陣頭指揮をとるとか、籠城戦でも巧みな用兵で羽柴秀吉(演:ムロツヨシ)をちょっとでも手こずらせるとか活躍して欲しかったところです。

最期にお市自身が「真似事」と説明していましたが、どうせ荒唐無稽に走るのであれば、単なるコスプレじゃなくとことん振り切ってくれた方が没入できるというもの。

(もっとも、素人の「真似事」に従わされて命を落とす現場の将兵らは、正直やってらんないでしょうが)

あと、茶々(演:白鳥玉季)ちゃんや。恨むなら遠く越前北ノ庄くんだりまで援軍に駆けつけてくれなかった徳川家康(演:松本潤)よりも、賤ヶ岳の合戦で裏切った(何なら劇中登場すらしなかった)前田利家(まえだ としいえ)らではないでしょうか。

……他にもたくさん、今週も大いに盛り上がったNHK大河ドラマ「どうする家康」。さっそく第30回放送「新たなる覇者」を振り返っていきましょう。

どうする織田家の跡継ぎ選び……清須会議(清洲会議)

偉大なるカリスマ亡き後、織田の家督を誰が継ぐのか。この重要事項について、尾張清洲城で話し合われました。

まさか本能寺の変で、信長の嫡男・織田信忠(のぶただ)まで同時に討たれるとは思ってもいませんで……。

将来を嘱望されながら”セリフ死”してしまった織田信忠(信長嫡男)…その生涯を振り返る【どうする家康】

※そもそも既に家督を譲られた信忠が生きていれば、信長が死んだところですぐに態勢が建て直され、織田家の行く末にはそう影響しなかったと考えられます。

しかし死んでしまった以上、とやかく言っても仕方ありません。とりあえず後継者候補は以下の3名です。

最初は秀吉に文字通り担がれた三法師(織田秀信)。しかし……『絵本太閤記』より

【織田家の後継者候補その1】三法師(さんぽうし。後に織田秀信)

信忠の嫡男すなわち信長の嫡孫。本能寺の変では幸い命拾いしました。

織田家の後継者としてこれ以上の適任者はいません……が、いかんせん幼すぎて一人で織田家の切り盛りはもちろん、お手洗いすら満足に出来るかどうか。

要するに「誰が後見人(実質的な権力者)になるか」という問題はそのまま残ります。(むしろ近年では元から「どっちが三法師の後見人になるか?」で揉めていたという説も)

【織田家の後継者候補その2】織田信雄(演:浜野謙太)

織田信雄。ここでは「のぶを」と読まれる。落合芳幾筆

信長の次男。信忠と同母兄弟なので、血筋的には申し分ありません。ただし将器には欠けていたようで、前に伊賀国へ大軍を動員しながら返り討ちに遭い(第一次天正伊賀の乱)、信長に絶縁されかけた苦い過去があります。

織田信雄(信長次男・浜野謙太)が惨敗!天正伊賀の乱「阿波口の合戦」を紹介【どうする家康】

また、父の死を知らされた後も初動が遅れて仇討ちには参戦できなかったのも大きな失点。劇中では何となく落ち着きのない、頼りなさそうな人物に表現されていましたね。

【織田家の後継者候補その3】織田信孝(演:吉田朋弘)

織田信孝。いかにも武張った印象が伝わる。歌川国芳筆

信長の三男。こちらはかねて数々の武勲を重ね、丹羽長秀(演:福澤朗)と共に四国征伐を託されるほど信頼を得ていました(※本能寺の変で実現せず)。

合わせて父の仇討ちにも参戦しており、主導権こそ秀吉に譲ったものの、有事に即応出来たと言えるでしょう。

しかし信孝は側室の子であり、幼児や愚鈍であっても織田家嫡流を差し置いて家督を継承するのは難しい状態でした。劇中では若く英明そうな青年でしたが、残念ながら柴田勝家(演:吉原光夫)とほぼ同時期に落命するため、次回以降の出番はまずなさそうです。

……以上の三者をざっくりまとめるとこんな感じ。

三法師→幼い以外は申し分なし 織田信雄→血筋はいいけど中身が微妙 織田信孝→能力はあるけど血筋が微妙

とりあえずこの中から決めるのですが、選考委員(出席家老)は4名。それぞれの意向は概ねこんな具合(すごく意訳)でした。

羽柴秀吉→三法師を信雄が後見すべき 池田恒興→じゃあ、それがしもそれで 丹羽長秀→では、柴田殿のお考えは? 柴田勝家→三法師を信孝が後見すべし

とまぁ、信雄派と信孝派でほぼ二分された印象です。各派の真意は概ね解りますね。少なくとも秀吉が「ナントカと神輿は軽いほどいい」と思っているのは間違いなさそうです。

ちなみに、本作ではいきなり出てきた丹羽長秀と池田恒興(演:徳重聡)とは何者?と思われた方は少なくない堀んじゃないでしょうか。

ごくざっくり紹介すると、丹羽長秀は織田家の次席家老で、柴田勝家に次ぐ重鎮。信長時代から活躍していました(これからの活躍に期待)。

また池田恒興は信長の乳兄弟にあたり、永年忠義を尽くした忠臣。信長亡き今は最も頼れそうな秀吉につこうとしているようです。

この四者による丁々発止の議論が清洲会議の見所なのですが、本作ではほぼ全カットなので、こちらも結果のみ。

【家督は三法師が継ぎ、信雄と信孝が共同で後見する】

結局まとまらなかったので、一緒に後見する形にしたのでしょう(最初から話し合わなくても同じだったと見るべきか、両派が必死に話し合ったからこそこの結果にバランスがとれたと見るべきか……)。

また実務的なことは経験豊かな四家老が補佐+状況によって盟友の家康にも外部委託。ここに家康は、一部とはいえ織田家の舵取りを託されるようになりました。永年愚直に盟友の信義を貫いた賜物と言えるでしょう。

(※本作では家康が姉川で信長を裏切りかけたり、本能寺で信長を殺しかけたりしていますが、それらは全くのフィクションです)

ちなみに、傅役(もりやく。教育係)には堀秀政(ほり ひでまさ)が任じられました。これでひとまず織田家の新体制は決まったのですが……(後半に続きます)。

いつ、誰が眠ってたって?関東の雄・北条氏政の戦歴をとくと見よ!

最期の敗北だけを見て、すべて愚かであったとするのはいかがなものか。北条氏政肖像(画像:Wikipedia)

……甲斐の若御子にて数月の間北條氏直と御対陣有しとき。氏直より一族美濃守氏規して和議の事こひ申により。上州を北條が領とし。甲信二国は 当家の御分国とせられ。且督姫のかたもて氏直に降嫁あらんよし……

※『東照宮御実紀附録』巻四「家康與北條氏盟約」

さて。偉大なカリスマを喪ったことで織田家の屋台骨が揺らぎかけると、織田領の辺境地域では少なからず混乱が勃発しました。その一つが武田家亡き後の甲斐・信濃・上野。現代の山梨・長野・群馬に当たります。

突如生じたこの空白地帯をいかに切り取るかが、今後の明暗を分けると確信した家康は、互いに同地を狙う北条氏政(演:駿河太郎)と対峙しました。

結果は概ね劇中の通り。北条から「上野を貰えれば甲斐・信濃からは手を引く。また、ご息女を嫁にお迎えしたい」との条件が提示されます。

娘一人で国一つなら、悪くない交換レート。というわけで家康はこれを快諾しました。

さて、娘は誰を出そうか……そうだ。しばらく前に側室のお葉(演:北香那。西郡局)に産ませた次女のおふう(清乃あさ姫。督姫)を氏政嫡男・北条氏直(演:西山潤)に嫁がせたのです。

ひとまずこれでめでたしめでたし(※え、真田の恨み?そんなの大した事ないっしょ)……劇中ではそんな感じで片付けられていました。だがちょっと待って頂きたい。

北条が「眠れる獅子」と評されていましたが、氏政が家督を継いだ永禄2年(1559年)以来、北条にいつ寝る余裕がありましたか?

あンの小にっくらしい猿(秀吉)めが「関東の隅っこでぬくぬくとしていた」などと吐(ぬ)かしておりましたが、それは越後の龍と恐れられた長尾景虎(ながお かげとら。上杉謙信)とおよそ十年間にわたる抗争を繰り広げた過去を知っての暴言でしょうか。

もうすぐ関東一円を切り従えると思っていたのに、神のごとき武威を前に、片っ端から覆されえてしまいました。

味方の城は次々と陥落・降伏していき、残る城はほんのわずか。最後は小田原城に立てこもり、相手の兵站(へいたん。補給ルートやシステム)や諸勢力との結束に綻びが生じ、引き下がってくれるまでひたすら耐え忍んだのでした。

「越後の龍」上杉謙信の恐ろしさを知らず、またそれを承知で闘い抜いたこともない者に、坂東武者を笑われるのは耐えがたい。月岡芳年筆

長尾が引き揚げたら地道に奪い返し、また長尾が来たらまた寝返られを繰り返した年月は、まさに心身を削られるものだったはずです。

更には窮地の今川氏真(演:溝端淳平)を助けるため武田信玄(演:阿部寛)と断交・開戦。後に一時休戦したものの、天正7年(1579年)に勃発した御館の乱で煮え湯を飲まされたことから、再び武田勝頼(演:眞栄田郷敦)と争います。

また関東には常陸の佐竹義重(さたけ よししげ)や房総の里見義弘(さとみ よしひろ)と言った勢力が頑強に抵抗しており、絶えず一進一退の攻防戦を繰り返していました。

つけ加えるなら氏政自身も18歳の時から最前線で槍を振るい、数々の戦場で武勲を重ね続けた豪傑。兵の駆け引きもここ一番の度胸も備えていました。

劇中では親子揃ってこれ見よがしに汁かけ飯を啜り、暗愚っぽい雰囲気をアピール(※)していましたが、それは(描く側が)結果だけしか見ていないからでしょう。

(※)氏政が子供のころ、食事の時に飯の汁を一度かけて、食っている途中に再度汁をかけたのを見た父・北条氏康(うじやす)が、「毎日同じ飯を食っているのに、必要な汁の量すら分からないバカ息子だから、きっと当家を滅ぼすだろう」と嘆いたエピソードに基づきます。

しかしこれも結果から見た後世の創作と考えられており、ステレオタイプな「家康の引き立て役」ぶりが、ちょっと残念でした。これから見返して欲しいですね!

賤ヶ岳の合戦〜秀吉の言いがかりで清洲会議の合意は破綻

「出てこーい、柴田ー!」

罵声と嘲笑、そして乱発される銃声。これはいったい何のドラマか(あるいは寝落ちして場面が飛んでしまったのか)と驚きましたが、そう言えば戦国時代でした。

羽柴秀吉と柴田勝家の決戦として名高い賤ヶ岳の戦い(天正11・1583年4月)はほぼ丸ごとすっ飛ばして、いきなり本拠の北ノ庄城に追い詰められてしまったのですね。

甕割柴田の図。エピソード自体は後世の創作と言われるが、勝家ならやりかねない豪胆さが見どころ。歌川国芳筆

瓶割り柴田、かかれ柴田に鬼柴田(※)……織田家中でも屈指の猛将として武功を重ねた柴田勝家。

(※)いずれも勝家のあだ名。瓶割り柴田は、味方に決死の覚悟をさせるため、あえて水瓶を割ったという伝承から。かかれ柴田は、彼が号令をかければ誰もが勇み立ち、どの部隊よりも奮戦したから。鬼柴田は文字通りですね。

鬼柴田・甕割り柴田・知恵柴田…織田信長に仕えた猛将・柴田勝家のあだ名を紹介!【どうする家康】

そんな勝家が、戦場でどんな大暴れを示したのか、一度くらい魅せて欲しかったと思います(本作の勝家は大抵本陣で信長にくっついているか、遠征中は言及だけだったので……)。

ちょっと話を戻しまして、清洲会議で織田家の新体制が決まったのも束の間、秀吉がいきなり宣言しました。

「やっぱりこの難局を幼児では乗り切れない!織田家の後継者は信雄様をおいて有り得ません!(意訳)」

……何のことはない、要するに「三法師を信雄&信孝が後見する」システムでは、どうしても信雄=秀吉に不都合なのです。

表向きは後見人としての地位を確保していても、信雄の能力不足はいかんともし難かったのでしょう。

(まったく信雄め、アホのくせにプライドばっか高いから、わしの思い通りにならんじゃないか!)

隔靴掻痒(足がかゆいから靴底を搔く≒もどかしい!)とはまさにこの事。信雄ごしに三法師を操るのは難しいから、やっぱり信雄をダイレクトに操ろうと言うのです。

というわけで、邪魔な柴田勝家&織田信孝を始末するため、秀吉はせっせと根回しを始めました。勝つためには、こういう地道な作業が欠かせません(そして秀吉は、こういう努力を惜しまない人でした)。

池田恒興・丹羽長秀・堀秀政は元より、劇中では名前だけ登場した前田利家や佐々成政(さっさ なりまさ)なんかもみんな調略しておきます。

もちろん家康にも相応の「根回し」をしておいたであろうお陰で「信雄の家督継承に対する祝辞」が届きました。

これはつまり秀吉のやり口を認める(少なくとも異議は唱えない)=勝家&信孝らには与しない意思表示と言えます。

もちろん、あくまで「織田家内部のことは存じません(=万が一、信孝らが勝利した場合はそちらに味方します)」という意味も含まれているのでしょうが。

秀吉と子飼いの精鋭たち(賤ヶ岳の七本槍)。歌川豊宣「賤ヶ嶽大合戦之図」より

既に政治的に決着がついていた権力闘争。だからそのおまけに過ぎない賤ヶ岳の合戦など放送する必要はない……そう思って割愛されたのかも知れません。

確かに賤ヶ岳の合戦は(勝家&お市の最期も含め)家康と直接の関係はないからそれもありはありでしょう。でも、観たかったです。

若き加藤清正(演:淵上泰史)や福島正則(演:深水元基)、そして石田三成(演:中村七之助)らの槍働きとか。何より総大将として采配を振るい、また槍を振るう「鬼柴田」勝家の勇姿を。

一緒に手柄を立てたのに(涙)豊臣秀吉の側近「賤ケ岳の七本槍」から洩れてしまった名将たち【上】

死ぬまで秘めた恋心……一番槍を果たしながら「賤ケ岳の七本槍」から洩れてしまった名将・石川一光【下】

その他、細かなツッコミや豆知識など

後に颯爽と赤備を率い、戦場を駆け巡る「赤鬼」井伊直政。「関ヶ原合戦図屏風」より

劇中で「織田家の血筋が欲しい」と言っていた秀吉。しかし彼は既に、信長の四男を養子に迎えています。

その名は羽柴秀勝(はしば ひでかつ)、養父より早く亡くなってしまいますが、この時点ではまだ元気です。山崎の合戦(前回放送)でも活躍しました。

加えて、少し後に信長の娘を側室(または妾)としています。彼女は伏見城の三ノ丸に住まいを与えられたことから三ノ丸殿(さんのまるどの)と呼ばれ、秀吉最晩年を共にしたそうです。

何で私が猿の妾に?羽柴秀吉に嫁いだ織田信長の娘「三ノ丸殿」とは【どうする家康】

井伊万千代、改め井伊直政(演:板垣李光人)が、家康から武田の精鋭部隊「赤備え」を託されたことは『徳川実紀』などに記録があります。同書ではこれに榊原康政(演:杉野遥亮)が嫉妬して「刺し違えて死んでやる」と怒り狂い、酒井忠次(演:大森南朋)に叱られた記述もあるので、よかったらぜひ。

あと、於愛(演:広瀬アリス)さん。あなた仮にも自分の夫を助けてくれた恩人・本多正信(演:松山ケンイチ)に対して「イカサマ師殿」は失礼すぎでしょう。その呼び名が何を意味するかくらいは解っているはず。

(※もしこれが亡き聖母瀬名なら、みんなが悪口を言う中で「本多殿」「佐渡殿」などキチンと呼んで差別化を図ったのかも知れませんね)

あと本当にどうでもいいのですが、炎上する北ノ庄城を前に「我が妻(予定。お市)よ……」をうわ言を垂れ流していた秀吉のすぐ後ろに、おね(秀吉正室)さんが立っていて欲しかったです。もう叱り飛ばしてくれる信長もいませんしね。

第31回放送「史上最大の決戦」

「……愚かなおなごよ」焼け落ちる北ノ庄城(イメージ)

勝家らの滅亡から程なくして、信孝は信雄の命で自害に追い込まれてしまいます。

昔より 主(しう)を内海(うつみ)の 野間(のま)なれば

報いを待てや 羽柴筑前(はしばちくぜん。秀吉)

※『川角太閤記』など

【意訳】昔から、主を殺した者が栄えたことはない。秀吉よ、天罰が下るのを震えて待つがよい!

信孝が自害した尾張国内海野間荘(愛知県知多郡美浜町)は、かつて源氏の棟梁・源義朝(みなもとの よしとも。頼朝父)が郎党の長田忠致(おさだ ただむね)に暗殺された因縁の地でした。

はっはっは、負け犬が何とでも吠えるがよいわ……何はなくとも邪魔者を滅ぼし、織田家を継いだ信雄。しかし笑って居られたのも束の間、あっという間に織田家を秀吉に乗っ取られ、家康に泣きつくことになるのです。

それが次回「史上最大の決戦」こと小牧・長久手の合戦につながるものと予想されます。

どうも本作の家康にとっては、お市の仇討ちでしかないようにも思えますが、とにかく家康と秀吉が激突さえすれば盛り上がるのです。果たしてどんな死闘が繰り広げられるのか、次週も目が離せませんね!

※参考文献:

『NHK大河ドラマ・ガイド どうする家康 後編』NHK出版、2023年5月 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション 小和田哲男『織田家の人びと』河出書房新社、1991年10月 黒田基樹『戦国 北条一族』新人物往来社、2005年9月 柴裕之『シリーズ【実像に迫る】清洲会議 秀吉 天下取りへの調略戦』戎光祥出版、2018年9月 『勇猛・悲壮辞世の句150戦国武将・維新志士・帝国軍人…日本男児が遺した最期の言葉!』ダイアプレス、2016年8月 『賤ヶ岳の戦い「秀吉VS勝家」覇権獲得への死闘』学研プラス、1991年5月

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