坊主・小僧・入道…なぜ日本の妖怪には「僧侶系」が多い?寺院と庶民の関係から考察 (2/3ページ)
端的に言って、江戸時代以前の寺の僧侶というのは、もはや憎悪の対象でもあったのです(そうでない僧侶もいたでしょうが)。
その原因として代表的なものが、寺請制度です。
寺請制度とは、江戸幕府が定めた仏教徒登録制度です。庶民は自分の住む地域の寺に登録し、寺から戸籍や戒名などを発行してもらうことが義務付けられていました。
また、この制度は幕府によるキリスト教弾圧政策の一環として設けられた側面もあります。庶民はキリシタンではなく仏教徒であることを僧侶に証明してもらうために、寺社へ多額の費用を支払わなければなりませんでした。
また費用面で言えば、祭礼費・葬式費・建築費・修理費なども高額で、さらに奉仕活動を強いられることもあり、庶民には寺に不満や恨みを抱く十分な理由があったと言えます。
そして、僧侶の中には修行を怠り、贅沢三昧だった僧侶もいたようで、そうした人間は陰口をたたかれていました。
傍証としての廃仏毀釈騒動こうした憎悪の蓄積があった傍証としては、明治時代に発生した「廃仏毀釈」騒動が挙げられるでしょう。
明治維新とあわせて、明治新政府による「神仏判別令(神仏分離令)」が出された際は、政府の想像を超える規模の寺社の破壊や焼き討ちなどの騒動が全国で起こりました。政府もこの騒動を押さえるのにやっきになったと言われています。
