「パーマ屋」って知ってる?日本で美容院・理髪店が普及していった歴史をたどる

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「パーマ屋」って知ってる?日本で美容院・理髪店が普及していった歴史をたどる

パーマ屋って何?

今の若い人の中には知らない人も多いと思いますが、かつて美容院や美容室、あるいは一部のヘアサロンをパーマ屋と呼んでいた時代がありました。

パーマ屋という言葉は、パーマネントウェーブという髪型を施す美容院のことを指します。特に女性の方には言うまでもないかも知れませんが、パーマネントウェーブは、髪に薬剤を塗って熱を加えることで、カールやウェーブを長期間持続させる技術です。

で、このパーマネントウェーブや美容院、そして理髪店にも独自の歴史があります。

日本でパーマネントウェーブが流行したのは昭和30年代から40年代にかけてで、当時は美容院のほとんどがパーマネントウェーブを提供していました。そのため、美容院のことをパーマ屋と呼ぶのが一般的だったのです。

ところで美容院と似たイメージではあるものの、まったく違うものとして区別されている言葉に、理髪店(あるいは床屋)があります。

理髪店と美容院は、それぞれ理容師法と美容師法という二つの法律によって規定されています。

日本で理髪店と美容院が誕生したのは明治時代になってからです。文明開化の流れで西洋文化が導入され、日本人の髪型や服装も大きく変化しました。

特に1871年(明治4年)には断髪令が出されたため、男性は従来の丁髷(ちょんまげ)を切り落とし、西洋式の短髪にする必要が生じます。

横浜や銀座などに外国人向けの理髪店が開業したのがこの頃で、当然多くの日本人も利用するようになりました。

理容師法の制定

一方、女性の髪型も西洋風に変化しました。特にパーマネントウェーブは日本でも大きな反響を呼びます。

当初、パーマネントウェーブは理髪店で行われていましたが、やがて女性専用の美容院が登場します。日本で最初の美容院は1897年(明治30年)に芝山兼太郎が開業した外国婦人専門サロン、パレス・トイレット・サロンだと言われています。

ただ、当時の理髪店や美容院は法的な規制がなく、無資格や無許可で営業する者も多くいました。衛生面や技術面の問題もあることから、1928年(昭和3年)に理容師組合法が制定され、理容師組合の設立や理容師試験の実施などが定められます。

理髪店(床屋)を示す世界共通のシンボル「サインポール」

しかし、この法律で規制されるのは理髪店のみで美容院は含まれておらず、美容師組合も自主的なものでした。この、やや中途半端な状態が大きく整理されたのは戦後のことです。

第二次世界大戦後、国の経済復興と人々の生活水準の向上が叶っていくのとあわせて、理容師や美容師の資格・職務を改めて整備する必要性も高まってきました。

そこで1947年(昭和22年)に誕生したのが、理容師全般の職務や資格を規定する理容師法です。この法律では、理容とは「髪の刈り込み、顔そり等の方法により容姿を整えること」と定義され、理容師免許がなければ理容を業として行ってはならないとされました。

美容師法の制定、そしてヘアサロンへ

一方の美容師組合は、美容師の資格や職務を明確にするために、理容師法から独立する形で美容師法の制定を求めます。

その結果、1957年(昭和32年)に制定されたのが美容師法で、そこでは「美容」の定義について「パーマネントウェーブ、結髪、化粧等の方法により容姿を美しくすること」とされました。そして、やはり免許なしに「美容」を業として行ってはならないと規定されたのです。

美容室でメイクをする女性

こうした経緯を見ていくと、日本で理髪店と美容院が誕生した経緯は、美容師法と理容師法という二つの法律が制定された流れと大きく関係していることが分かります。

また、法律上の定義を確認することで「理容」と「美容」の違いや、パーマ屋というのが美容院とイコールであることも理解できるでしょう。

しかし、近年は理髪店と美容院のどちらに区分されるのかが明確でない店舗も多くあります。理容・美容のいずれのサービスも行ってくれることもありますし、そうした店舗はヘアサロンと呼ばれることも多いようです。

もしかすると将来、「理容」「美容」の再定義や、こうした新しい営業形態に即した法律が制定される日が来るかも知れません。私たちの日常生活や身の周りのものは、想像以上に法律と大きく関係しているのです。

参考資料
Study-Z
K-STYLE

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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