日本初のお化け屋敷は江戸時代の医師が作った「化け物茶屋」!大人気になるも「けしからん!」と撤去され…【前編】
中に入るとキャ〜キャ〜叫びながら怖がるのに、老若男女が行きたがる「お化け屋敷」。昔懐かし昭和レトロな雰囲気のものから、最新技術を駆使したものまで様々な種類がありまよね。
そんなお化け屋敷ですが、実は初めて日本に登場したのは江戸後期。しかも創設者は「医師」だった……というのはご存じでしょうか。
昔っぽい絵がよけい怖い日本のレトロなお化け屋敷(写真:wikipedia)
暑い夏は「ヒヤ〜ッ!」と感じることがしたいと、デートに遊びにと訪れる人が多いお化け屋敷。日本では遊園地に設置されているもの・複合施設にあるもの・期間限定のものなど、いろいろな種類があり、特に夏休みになると多くの人で賑わいます。
日本はお化け屋敷需要が高いので、お化け屋敷そのものをプロデュースする「ホラープランナー」も活躍しているほどです。
ひとくちにお化け屋敷といっても、建物の中の通路を決められた順番に自分で歩かなければならず「お化け」にも近距離で急に驚かされるのでかなり怖い
「ウォークスルータイプ」。
乗り物でレールの上を進んでいき、それほど「お化け」との距離も近くないので怖さの程度も低めの「ライドタイプ」。
また、部屋の中でヘッドフォンを装着して終わるまで音声を聞かなければならない「3dサウンド型」、広めの部屋で映像・音勢を視聴する「シアター型」があります。
年々、最新技術を採用した施設が登場して私たちを驚かせているのですが、じつはお化け屋敷は江戸時代からあったほど歴史が長いものなのです。
医師が作った化け物茶屋や人形が並ぶ怪物問屋日本で初となるお化け屋敷が登場したのは天保元年頃(1831年〜)。第11代征夷大将軍・徳川家斉〜第12代の徳川家慶の時代で、大雨や冷害による天保の大飢饉・天保騒動・大塩平八郎の乱などが起こりました。
そんな社会不安が蔓延している時代に、江戸の大森(現在の「大田区大森」)に誕生した日本初のお化け屋敷。作ったのは「瓢仙(ひょうせん)」という町医者だったのです。
なんと、自宅の庭に小屋を建てて怪談話の絵を描いたり一つ目小僧などの妖怪人形を飾ったりというから驚き。手作り感満載だったと思われる瓢仙お化け屋敷はあっという間に江戸の人々の間で噂となり「大森の化け物茶屋」といわれ人気を博したのです。
【後編】では、「大森の化け物茶屋」にはどんなお化けがいたのか、またその後に誕生した土左衛門・女性の生首・獄門晒し首などのリアルな人形を並べた現在のお化け屋敷に近い「怪物問屋」についてご紹介しましょう。
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