かつて天皇は命を狙われていた…昭和天皇を襲った二つの暗殺未遂事件

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かつて天皇は命を狙われていた…昭和天皇を襲った二つの暗殺未遂事件

虎の門事件と桜田門事件

戦前の日本では、天皇政治的な意味での国家の統治者でした。

昭和天皇(Wikipediaより)

しかし、その立場ゆえに、天皇も暗殺の危険にさらされていました。ここでは、昭和天皇が遭遇した二つの暗殺事件について紹介します(本来、昭和天皇という呼び名は死後につけられるものですが、ここでは分かりやすく昭和天皇と表記します)。

一つ目は、虎ノ門事件です。これは、1923年に皇太子だった昭和天皇が無政府主義者の難波大助から狙撃された事件です。

幸いにも銃弾は命中せず、昭和天皇は無事でしたが、同乗していた侍従長が負傷しました。難波は現場で逮捕され、翌年に処刑されました。

この事件の背景には、関東大震災後の社会不安政府の労働運動弾圧に対する社会主義者達の反発がありました。

犯人の難波は社会主義や無政府主義に傾倒し、皇太子の暗殺を目論んでいました。この事件は、政府や警察の人事や体制に大きな影響を与えています。

二つ目は、桜田門事件です。これは、1932年に昭和天皇が観兵式から還御する途中に、韓国の独立運動家である李奉昌という人物から手榴弾を投げつけられた事件です。

しかし、李奉昌は馬車を間違えて宮内大臣の乗ったものに攻撃し、昭和天皇に被害はありませんでした。李奉昌は現場で逮捕され、処刑されました。

暗殺未遂の背景

桜田門事件を起こした李奉昌は朝鮮人の土木労働者で、日本で差別や虐待をうけたことに憤り、上海で朝鮮独立党の金九から爆弾を渡されて天皇を暗殺しようとして失敗したものでした。

また彼は韓国の臨時政府の抗日武装組織に所属しており、暗殺によって革命を起こそうと考えていたようです。この事件は、日本と中国との関係にも影響を与えました。

取り押さえられた李奉昌(中央の人物。Wikipediaより)

これらの事件は、戦前の日本がどんな国だったかを知る上で興味深い事例です。象徴天皇制を採用している現代の日本では、ちょっと考えられない事件ですね。

しかし、これらの事件は、天皇に対する様々な思想や感情が存在していたことを示しています。

当時の天皇は、神聖な存在として崇拝される一方で、政治的な権力者として批判されることもありました。

天皇は、国民の統合やアイデンティティの象徴として機能する一方で、国際的な紛争や緊張の原因となることもあったのです。

昭和天皇の苦悩

昭和天皇は、自らは自分の人生について多くを語ることなく崩御されましたが、現在は当時のさまざまな史料が公になっています。

それを見ると、意外なほど「責任感のある普通の人」だった昭和天皇の人柄が分かります。

虎ノ門事件の現場付近の地下鉄虎ノ門駅

暗愚でもなく、さりとて英明と言えるほどの名君でもなかった昭和天皇は、その微妙な立ち位置の中で、苦悩することも多かったことでしょう。

ここで紹介した二つの事件からは、天皇制の歴史的な複雑さや多面性が感じられます。天皇制について考えるときは、その変遷や多様性を理解しておく必要があるでしょう。

参考資料
日本史事典.com

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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