松本潤主演大河ドラマ『どうする家康』ここが変だよ!徹底討論15

日刊大衆

松本潤
松本潤

 視聴者を翻弄する“衝撃的な演出”は、はたして是か非か。波紋を呼ぶ「征夷大将軍」の真実をあぶり出す!

 放送中のNHK大河ドラマどうする家康』。徳川家康といえば、大河ドラマではおなじみの武将で、これまで主役で2作品、登場作では24作品にも上る。

「今回は、主演に松本潤を迎え、さらには人気脚本家の古沢良太氏を起用。これまでにはない“大胆アレンジ”で家康を描いています。ただ、これが多くの批判を浴びる結果となっているんです」(テレビ誌ライター)

■「清須会議」に“ツッコミ”の声

 たとえば、8月6日放送の第30回は、織田信長岡田准一)亡き後の「清須会議」の様子が描かれたが、これにも放送後、“ツッコミ”の声が上がった。

豊臣秀吉ムロツヨシ)が、信長の孫・三法師を後継者として担ぎ上げて、自身を後見人としてアピールした。ただ、実際の清須会議は、後継者が三法師であることは既定路線だった、というのが定説とされているんです」(歴史ライター)

 ドラマに“演出”が必要なのは当然だが、この場合、その度合いが少々、強すぎるとも言える。

 そこで今回は、専門家の協力の下、そんな本作の“違和感”と、歴史上の真実を徹底検証していこう。

■ドラマとは違ってかなり短気だった

 まずは主人公の徳川家康から。おなじみの人物像は、「権謀に長けた腹黒タヌキ」というイメージだろう。ただ、本作では、重大な局面で逃げ出したり、ままごとに興じたりと、気の弱い優柔不断な人物として描かれている。しかし――。

「ドラマとは違って、家康は、かなり短気だったと考えられています」

 こう語るのは、歴史家の加来耕三氏だ。

「彼の有名なクセで、ストレスがかかると爪をガリガリ噛むというのがあるんですが、実際に本能寺の変のときもガリガリやっていたようです。家臣からは“爪を噛むのは恥ずかしいから、やめてくれ”と、注意されていたようです」(前同)

■優柔不断な人物だった?

 一方、本誌連載でもおなじみ、『超新説で読みとく信長・秀吉・家康の真実』(ビジネス社)の著書もある歴史研究家の跡部蛮氏は、「家康が優柔不断な人物だったという可能性はある」と指摘する。

「家康は桶狭間の戦いの後、今川義元が討たれたことで将来に絶望し、切腹しようとして家臣に止められたという伝承があります。本能寺の変の後でも切腹しようとしたとする史料もあり、“頼りない”と言える面はあったようです」

■有村架純演じる正室・築山殿との関係

 そんな優柔不断な家康の成長が描かれる本作にあって、最も物議を醸したのが家康と、有村架純演じる正室・築山殿(瀬名)との関係だろう。劇中で二人は、出会って以降、ずっと“ラブラブ”なカップルとして描かれてきたが……。

「もともと築山殿は今川方の人間。家康が今川方と切れたときに、離縁してもおかしくなかった。形としては正妻ですが、完全に冷え切った、形だけの夫婦ですね」(前同)

 劇中、彼女が敵である武田とひそかに通じていたことが発覚し、息子の信康(細田佳央太)とともに、信長から切腹を命じられる。実は、武田・今川・徳川で同盟し、戦のない平和な世を作ろうとしていた、というのが劇中での理由だった。

「これには驚きました。何か史実があって、それを拡大解釈するなら分かりますが、築山殿のこれは完全に空想。現代のような“平和構想”なんて当時はありえません。どうして、そんな話を考えついたのか、不思議です」(前出の加来氏)

 実際、築山殿は夫である家康を裏切り、息子の信康とともに謀反を企てた“悪女”だったというのが、現在の定説だという。

■切腹を歓迎していた

 ただ、本作ではラブラブな夫婦として描かれた家康と築山殿。切腹が決まった妻を、夫は逃がそうとする。

 だが実際には、家康は、切腹を歓迎していた、という見方まであるという。

「家康のいる浜松の家臣と、築山殿のいる岡崎の家臣の間でいざこざがあり、家康は岡崎を、なんとかしたいと考えた。そのタイミングで謀反の疑いが出たので、家康は切腹に向けて、自発的に動いた可能性もあるんです」(前出の跡部氏)

■北川景子お市の恋心は嘘かまことか?

 そんな築山殿と並ぶ、本作の重要女性キャラが、信長の妹、お市(北川景子)。彼女は浅井長政に嫁ぐが、本作では家康と幼少期に出会って以来、互いに、ほのかな恋心を持ち続けて……という設定になっている。

「幼少期の家康は、織田方の人質として熱田にいました。当時の織田の居城は清須なので、だいぶ距離が離れている。人質である家康と会うことがそもそもありえませんし、地理的にも難しかったはず」(前同)

 家康とお市のロマンスは、『どうする〜』独自の“ファンタジー”だったようだ。

「そもそも、お市に関しては、記録がほとんど残っていません。それもあって、これまでの大河ドラマでも、いいように描かれてきました。証拠がなければ、いくらでも脚色できるというわけですね」(加来氏)

■服部半蔵は忍術を使えない

 さて、並みいる徳川家臣団の中で注目を集めた“クセの強いキャラ”といえば、服部半蔵(山田孝之)だ。

 忍者集団の伊賀者を率い、築山殿を今川から奪還するべく暗闘しながらも、作品中、自身を「忍者ではなく武士」と“ネタ”のように口にする場面が何度も出てくる。

「この半蔵は二代目で、お父さんは忍者でしたが、確かに彼は忍者ではなく、忍術も使えません。また、家康の家臣として伊賀者を率いる立場なので、劇中のように自ら暗闇に紛れて敵陣に侵入するようなことはしていないはず」(跡部氏)

■酒井忠次や本多忠勝との仲は

 服部半蔵だけでなく、家康は酒井忠次(大森南朋)や本多忠勝(山田裕貴)など、多くの優秀な家臣を抱えている。劇中では主君と家臣とは思えないほどの“仲睦まじさ”だが、実際はどうだったのか。

「怒りっぽい家康は、三方原で武田軍に惨敗して、大いに反省し、人が変わったといわれています。そして己の足りなさを知って、自分が生き残るため、家臣たちを頼りにするようになった。その点は史実に近いと思います」(加来氏)

■多くの批判を呼んだ「本能寺の変」

 一方、多くの批判を呼んだのは第27回、第28回で描かれた「本能寺の変」だ。

 有名な“是非もなし”というセリフがない。「敦盛」を舞わない。信長が家康を、家康が信長の名を呼び合う描写があるなど、ツッコミどころが満載。特に衝撃的だったのが謀反の理由だ。

明智光秀が、なぜ信長を討ったのかは諸説ありますが、本作では、中でも最も陳腐だといわれる“腐った魚説”を採用したんです」(前出の歴史ライター)

 この説は、安土城に招かれた家康に、宴を仕切る光秀が腐りかけの刺し身を出し、信長を激怒させたというもの。劇中では、信長にめった打ちにされた光秀が、信長を討つことを決意した……という展開となる。

「もともと“腐った魚説”というのが作り話です。そのルーツとなったのは、安土城の下水が、さばいた魚で臭くなったという逸話ですが、これもウソ。そもそも、光秀とは何も関係ありません」(加来氏)

 跡部氏が、最近の有力な説を教えてくれた。

「光秀が、信長から毛利攻めで国替えを命じられたことが引き金になったという説です。これは“毛利を倒せば、その土地をあげる”というもので、毛利が難敵だったことを考えると、かなりの無茶ぶり。もちろん、それだけが理由ではありませんが、それが信長を討つ契機となったのは十分に考えられます」

■石川数正が豊臣秀吉側に寝返る“最大のドラマ”

 さて、信長も退場し、ドラマは終盤へ。今後の見どころは、どこか。

「小牧・長久手の戦い以降、家康の家臣である石川数正(松重豊)が、秀吉側に寝返るところは“最大のドラマ”でしょうね」(加来氏)

 小牧・長久手の戦いとは、秀吉と織田信雄VS家康陣営との間で行われた戦。最終的に双方は和睦したが、その直後、数正は岡崎城を出奔し、秀吉の配下となる。

「家康の家臣の中には“秀吉を討つ”という声もあった。そんな暴走を止めるために、数正が出奔したとも考えられるんです。重鎮の数正が出奔すれば、徳川の情報は秀吉側に筒抜けになり、勝ち目はなくなる。自分が悪者となり、戦をやめさせたのでは」(前同)

 さぁ『どうする家康』では、どう描かれる……?

■まだある!ここがヘンだよ!『どうする家康』

信長が「首を突き刺した」はウソ? 劇中で信長は、討ち取った今川義元の首を、槍に刺して投げつける。これは史実と違い、「『信長公記』には、義元の首を供養するために丁重に、今川居城の駿府へ送り返したと書かれています」(跡部氏)。実際の信長は礼儀を重んじる性格?

火縄銃は連射できない? 劇中では、信長は火縄銃を連射するが、「撃つたびに火薬と弾を込めなければならず、連射は無理なんです」(跡部氏)。劇中の長篠の戦いでは、鉄砲隊を3列に並べ、交代しながら発射することで、連射に近い︎状態に。こちらが史実に近い!?

デカすぎる「清州城」はアリ?劇中、CGで描かれた清州城には「広大すぎる」とツッコミが殺到。しかし、「文化財の決まりで、実在した城は設計図の通りに再現しなくてはならない。でも、清州城は実在していても不確か。だから自由に描いていいんです」(加来氏)。

信長は「柔術の使い手」ではない? 岡田准一演じる信長が、柔術で家康の関節をきめる場面が話題になったが、このシーンの信憑性は微妙。「柔術に近いものが戦国時代に存在したのは事実のよう。でも、信長が学んでいたという資料はありません」(歴史ライター)。

「元康」から「家康」へ改名した本当の理由 劇中での理由は「三河を一つの“家”だと考えるため」。しかし、「自らのルーツが源氏だと信じていて、平安時代後期の武将・源義家から取ったという説もあります。名字を徳川(最初は得川)に変えたのも、源氏由来だったからです」(加来氏)。

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