「愛する男を抱いたこの手がさぞ憎かろう」狂おしく咲き乱れた江戸時代の衆道『男色大鏡』【前編】

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「愛する男を抱いたこの手がさぞ憎かろう」狂おしく咲き乱れた江戸時代の衆道『男色大鏡』【前編】

男同士の愛……「男色・衆道」は、『日本書記』にも登場しているほど日本では非常に歴史が古いものです。平安・戦国・江戸と、男色は発展。江戸時代には、武士同士・美少年・歌舞伎の若衆ほか、さまざまな男性同士の愛が公然と嗜まれるようになりました。

恋・忠義・情欲・嫉妬、さまざまな激しく想いが狂おしく咲き乱れた江戸時代の衆道。それらを描いた、井原西鶴の『男色大鏡』をもとに探っていきます。

さまざまな男色を描いた『男色大鏡』

 「男色大鑑の作者・井原西鶴(写真:wikipedia)

一説によれば、日本初の男色・衆道は『日本書紀』に登場し、『万葉集』『伊勢物語』『源氏物語』などの有名な書物にも記載があったといいます。

ちなみに「男色」とは男性同士の愛を表し、なかでも大名と寵童・武将と家臣・武士同士の関係は「衆道」と呼ばれていました。

そんな、武家社会の衆道と町人社会の男色を詳しく取り上げたのが、江戸時代の大阪の浮世草子(※)『男色大鏡(なんしょくおおかがみ)』

人形浄瑠璃作者で、『好色一代男』『好色五人女』など数々の代表作を残した井原西鶴によるものです。「好色一代男」は、京都の裕福な町人と高名な遊女の間に生まれた「世之助」の、7歳から60歳にいたるまでのさまざまな好色の数々を描いたものです。

※浮世草紙:江戸時代誕生した作品の形式で、当時の風俗や諸相を描いたもの

武家社会と町人社会の男色を描く

 女形の陰間(歌舞伎役者修業中の少年など)が男性と接吻する様を描いた宮川一笑による掛物絵(写真:wikipedia)

井原西鶴の「男色大鏡」は、1687年(貞享4年)徳川綱吉が江戸幕府の将軍であった頃に誕生。全8巻にわたる大作で、前半4巻は武家社会における衆道、後半巻では町人社会の歌舞伎若衆の男色を描いています。

戦国時代から引き継がれてきた、精神的なつながりも重んじる、武士同士・主君と小姓などの衆道。そして、若衆方や若女形など美貌の歌舞伎若衆が舞台後、夜は茶屋にて客を相手に性のお勤めをする男色など、さまざまな階級にいる男性たちの愛を取り上げたものです。読者の多くは男性だったそうで、一冊読んだらまた次の一冊が読みたくなる……そんな中毒性のある読み物だったのではないでしょうか。

 「小田春永」(信長)と小姓。月岡芳年画(写真:wikipedia)

「愛する男を抱いたこの手がさぞ憎かろう」

表題の「愛する男を抱いたこの手がさぞ憎かろう」は、殿様の衆道の相手を、意に沿わぬまま勤めさせられていた若く美しい武士の言葉。

殿との衆道関係をよしとせず、恋人であるほかの武士と愛し合っていたところ、その不義の現場を密告され、怒り狂った殿に処罰をされる際に吐いた言葉……

すさまじいばかりの感情が込められているようです。

【後編】でも、義理・絆・嫉妬・執着・忠義・愛、さまざまな想いが渦巻いていた男色の世界を描いた『男色大鏡』の中の逸話をご紹介しましょう。

 「衆道物語」 1661(写真:wikipedia)

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