古墳時代「磐井の乱」とは何だったのだろうか。6世紀最大級の反乱を詳細に見てみる (2/2ページ)
結果的には、大和政権側の勝利に終わりましたが、場合によっては、政権が崩壊する可能性もあった、それだけ衝撃的な出来事でした。
『古事記』『日本書紀』などの正史では、磐井は、反逆者として描かれる一方、地元に残る伝承では、大和政権の脅威から、地元を守ろうとした英雄だったとする動きもあるようです。「中央」の圧政に耐えきれての反乱だったのかも知れませんね。
反乱自体は、527年発生し、翌528年に乱は鎮圧されますが、磐井の息子である葛子(くずこ)は、糟屋屯倉(かすやのみやけ)を、大和政権に献上して死罪を免れたと、『日本書紀』には伝わっています。
現在、福岡県八女市にある岩戸山古墳は、磐井の眠る墓とされています。
【アクセス】
岩戸山古墳
西鉄久留米駅から西鉄バス八女営業所行きに乗車し「福島高校前」下車徒歩4分(350m)或いは、九州自動車道八女インターチェンジから6㎞。
参考
柳沢 一男 著『シリーズ「遺跡を学ぶ」094・筑紫君磐井と「磐井の乱」・岩戸山古墳』(2014 新泉社) 関 裕二 著『磐井の乱の謎』(2018 河出書房新社) 岩戸山歴史文化交流館 いわいの郷トップ画像:岩戸山古墳(Wikipediaより)
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