冥途の露払い?徳川家康の3日前に亡くなった忠臣・瀬名政勝の生涯をたどる【どうする家康 外伝】 (3/4ページ)
関ヶ原で軍功のあった者たちを賞する家康。月岡芳年「関ヶ原勇士軍賞之図」
その後も奉公を重ね、家康が豊臣家を滅ぼした翌年、元和2年(1616年)4月14日に51歳で世を去ったのでした。
家康が亡くなったのが同年4月17日、政勝は3日先に亡くなることで、冥途の露払いを買って出たのかも知れませんね。
ちなみに、永年にわたって放浪していたという父・瀬名信輝も同年4月10日に亡くなっています。家康に対して、息子を取り立ててくれた恩義に報いたかったのでしょうか。
「待っておったぞ、十右衛門。さぁ、大御所(家康)様の御供に参ろうか」
「はい、父上!」
あの世でそんなやりとりがあったのかも……そう思いを馳せてみるのも一興ですね。
築山殿(瀬名姫)との関係は?●政勝
源五郎 十右衛門 母は今川氏真が家臣葛山備中守氏元が女。
天正九年はじめて東照宮にまみえたてまつる。時に十六歳 十二年二月より御傍に近侍し、小牧の役に供奉す。そののち大和国の内に於て采地三百石を賜ひ、十八年三月十一日采地のうち百九十石餘を割て、舊知駿河国庵原郡瀬名村にうつされ、関東御入国ののち、また武蔵国入間郡のうちに転ぜらる。十九年五月十七日御朱印をたまふ。慶長五年関原の役に従ひたてまつり、のち大番に列し、元和二年四月十四日死す。年五十一。