圧倒的な兵数の差でなぜ勝てたのか?真田と徳川の因縁の始まり『第一次上田合戦』の勝因を解説 (2/3ページ)
この戦いは織田信雄の仲介で、北条氏直に家康の娘・督姫と嫁がせることと後北条氏に上野国沼田(現在の群馬県沼田市)の地を割譲する条件の和睦を結び、幕を閉じます。
しかしながら、沼田の地は真田氏が自力で得た地であったため、昌幸はこの内容に応じず、沼田を巡って後北条氏と戦いました。
痺れを切らした家康は、天正13年(1585)に引き渡しを求めるも昌幸は拒否し、敵だった上杉氏に寝返りました。
家康はこのことを知ると、昌幸が城主の上田城目掛けて約7000人の兵を向かわせました。
圧倒的な数を前になぜ勝てたのか?
7000人の徳川勢に対して、真田勢は2000人余り。3倍以上の兵数に昌幸は力攻めはせず、地の利を生かした戦法で翻弄しました。