圧倒的な兵数の差でなぜ勝てたのか?真田と徳川の因縁の始まり『第一次上田合戦』の勝因を解説 (1/3ページ)

Japaaan

圧倒的な兵数の差でなぜ勝てたのか?真田と徳川の因縁の始まり『第一次上田合戦』の勝因を解説

徳川家康と真田昌幸が戦った第一次上田合戦。この戦から両家の因縁というものが始まったように思います。また、小国でありながら徳川に真田が勝ったという歴史に大きな名を残した戦でもあります。

今回は、因縁深い戦いがなぜ起こり、なぜ真田氏が勝てたのかということを焦点に当て、第一次上田合戦をご紹介します。

真田昌幸/Wikipediaより

きっかけは天正壬午の乱後の沼田領割譲

徳川家康/Wikipediaより

真田家は真田昌幸の父・真田幸隆の頃より武田家の家臣として武田信玄に仕えていました。

武田家滅亡後は織田信長と北条氏直に仕え、次いで徳川家康に仕えます。家康に寝返ったのは、旧武田家臣の依田信蕃(よだ-のぶしげ)が一枚噛んでいました

そして、天正10年(1582)の天正壬午の乱では、家康に味方し後北条氏と上杉氏と戦いました。

「圧倒的な兵数の差でなぜ勝てたのか?真田と徳川の因縁の始まり『第一次上田合戦』の勝因を解説」のページです。デイリーニュースオンラインは、上田合戦真田昌幸徳川家康戦国時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る