後北条家存続のため家康を頼った!家康の婿・北条氏直が歩んだ30年の生涯【どうする家康】 (3/5ページ)

Japaaan

父と叔父と対立

北条氏政/Wikipediaより

同時に家康と同盟関係になった氏直は、勢力拡大のため常陸の佐竹義重や下野の宇都宮国綱の領土に侵攻しました。

そんな折、豊臣秀吉が発令した惣無事令によって勝手な戦ができないことを受け、氏直は来るべく秀吉との戦いに備え軍備増強しつつも、家康の要請で叔父の北条氏規(ほうじょう-うじのり)を上洛させています

この時の後北条家は氏直や氏規が穏健派だったの対し、父の氏政や叔父の氏照は強硬派でした

強硬派との対立と秀吉からの圧力、内と外での問題により緊張状態が続く中、天正17年(1589)に家臣の猪俣邦憲(いのまた-くにのり)が真田氏の支城・名胡桃城を乗っ取る事件が起こります。

氏直は義父の家康にこの事件についての弁明を依頼しますが、上洛していたためできずに終わります。

結局、後北条氏は惣無事令違反の罰により、秀吉を敵に回してしまいました。

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