義を守らずんば…豊臣秀吉の誘いを受けた大久保忠世の答えは【どうする家康】 (4/4ページ)
小田原平ぎし後、秀吉忠世を招き、汝は徳川股肱の臣なり、依て我家康へ勧め、汝をば小田原の要地に封じ、箱根を添て守らしむべしとて、四萬五千石を與へしむ。
我汝を賞すること厚し、若し舅婿の間に隙を生じ、萬一干戈に及ばゝ、汝等将たらんや、徳川氏の将たらんやと問ふ。
忠世、聲を励まして曰く、殿下の恩賞誠に重し、然れども臣累世徳川氏の臣たり、然らば東西に分れ、鎗を交へ、矢炮を発するに至りては、義を守らずんばあるべからず、其時に當て、殿下関白の任と、天下の勢とを頼ませらるゝこと勿れ、必らず殿下の天命も臣が掌握にあらんかと答ふ。秀吉笑て、壮なる哉、此翁と称し、酒を飲ましめ、金帛を賜はれり。
※『名将言行録』巻之五十 大久保忠世
以上、秀吉の誘いを断った大久保忠世のエピソードを紹介してきました。
『名将言行録』自体の史料価値は微妙ながら、忠世ならばきっとそう言うだろうと人々が期待して生まれた逸話。たとえ当たらずとも遠からずでしょう。
果たして小田原を統治した忠世は、ここでも仁徳ぶりを発揮して、領民たちから慕われたそうです。
忠世、小田原を賜はりし時、頃年兵革の弊、土民困乏し、食を他境に乞ふ者多し、忠世之を憐み為めに、長部廓を造り、飯を焚きて以て飢餓を救ふと云ふ。
※『名将言行録』巻之五十 大久保忠世
【意訳】大久保忠世が小田原を治めたころ、相次ぐ戦乱にあえいでいた領民たちを保護するため、炊き出しを実施。
飢えに苦しみ、他国へ逃亡していた者たちはこぞって忠世を慕ったのであった。
……NHK大河ドラマ「どうする家康」では今ひとつ影の薄い印象ですが、こういう仁徳が伝わる活躍を期待しています。
※参考文献:
『名将言行録 6』国立国会図書館デジタルコレクション日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
