日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【前編】 (3/4ページ)
さらに翌年の1937年、軍人上がりの首相たちが次々に就任と退陣を繰り返した果てに、近衛は再度後継首班として指名を受けます。これを受けて第一次近衛文麿内閣が誕生。この時、彼は弱冠45歳でした。
満州事変勃発名門である近衛家の出身で年若く、おまけに長身でハンサムな近衛が組閣するとあって、国民・政界・軍部・さらには左翼陣営までもが彼を歓迎したといいます。
近衛は「各方面の相互摩擦の緩和に重点を置き、真に挙国一致の協力を」と謳って颯爽と政界に登場しました。
彼はもともと特定の政治勢力がバックについている立場ではなかったので、ラジオを活用してアピールするなど、大衆の人気を最大限に利用する方策を採っています。
1937年6月、第一次近衛内閣の閣僚たち(Wikipediaより)
しかし、彼が組閣してから一カ月ほど経った七月七日に盧溝橋事件が勃発しました。満州事変の始まりです。ここで、近衛内閣は最初は「不拡大」方針をとって、中国との戦いを広げないことにします。
しかしここで、近衛の優柔不断な性格が災いしました。