日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【前編】 (2/4ページ)
第一高校時代の近衛は、華族女学校に通っていた千代子を電車内で見かけて、その美貌に一目惚れして猛アタックし結婚しているのです。
ちなみに近衛の次女の温子は、近衛の秘書の細川護貞と結婚しており、その二人の間に生まれたのが後に第79代首相となる細川護熙です。
政治の世界へさて、近衛文麿が政治と関わるようになったのは、京都大学在学中に世襲議員として貴族院の議員になってからでした。また、大学卒業後は内務省に在籍し、貴族院では立憲政友会の仲間と「憲法研究会」を設立して改革に取り組んでいます。
そして1933(昭和8)年には42歳で貴族院議長に就任。彼の国民的人気が急速に高まっていったのはこの頃からで、次期首相候補の下馬評にも上るようになります。彼はいわゆる「聞き上手」で、周囲に多くの人材が集まり、国民的人気も抜群でした。
彼に期待が寄せられたのは、西園寺公望の後で旧公家からは有能な人材が出ていなかったという事情もあったようです。
それでも、まだ40代前半という若さで首相になること普通は考えられません。しかし1936年、二・二六事件で当時の岡田啓介内閣が総辞職すると、元老である西園寺公望は近衛に首相をやるよう大命を下します。
1936年、貴族院本会議にて勅語を朗読する近衛(Wikipediaより)
ただ近衛はこの時、健康を理由に固辞。