悪名高い「食い逃げ解散」はなぜ行われた?林銑十郎首相の歴史的暴挙の背景 (2/3ページ)
で、紆余曲折があって林が首相に就任したのはいいのですが、彼は首相就任後に初めて開かれた議会の会期末である3月31日、なんといきなり「解散」を宣言して総選挙に打って出たのです。
予算をはじめとする全ての法案が議会を通過した直後だったので、この解散は完全に無意味です。そのため「食い逃げ解散」と呼ばれ、選挙の結果、大して議席を伸ばすこともありませんでした。
やっていることが完全にめちゃくちゃです。政党側は即刻退陣を要求し、軍部もすでに林を見放しており、5月31日に総辞職しました。わずか四カ月で退陣した林銑十郎内閣は「何もせんじゅうろう内閣」と揶揄されました。
なぜ林首相は「食い逃げ解散」を行ったかしかし、現代から見て理解しがたいのは、彼が食い逃げ解散を断行した理由です。
こんな、誰が見てもめちゃくちゃな「解散」をやれば議会からも国民からも反感を買いますし、内閣不信任案を突き付けられるのは目に見えていました。ではなぜ、彼はあえて解散したのでしょうか。
手がかりになるのは、彼が解散時に「政党の連中に懲罰を与える」と述べていたことです。このことから、いわゆる軍出身ではない、国民の中から選ばれた(という名目の)政党政治家に対して何か鬱屈した感情があったことが伺えます。
林はこの時の解散によって「議会刷新」を期待したといわれており、軍部に有利な政党が結党されるのを期待したともされています(もっとも、林はそのためのテコ入れなどは特に行っていませんが)。
一体彼は、当時の政党政治家や議会に対してどのような感情を抱いていたのでしょうか。