悪名高い「食い逃げ解散」はなぜ行われた?林銑十郎首相の歴史的暴挙の背景 (1/3ページ)

Japaaan

悪名高い「食い逃げ解散」はなぜ行われた?林銑十郎首相の歴史的暴挙の背景
悪名高い「食い逃げ解散」

1937年2月2日に第33代内閣総理大臣となった軍人政治家・林銑十郎(はやし・せんじゅうろう)が、就任直後に仕掛けた「食い逃げ解散」は、日本の憲政史上稀に見る愚策のひとつだと言えるでしょう。

林内閣発足後の記念撮影(Wikipediaより)

しかし、そもそも林がなぜ「食い逃げ解散」を断行したのか、その明確な理由を示す資料は意外に乏しく、結果として、現代に生きる私たちにとって単なる笑い話のようになってしまっている部分があります。

本稿では、この悪名高い「食い逃げ解散」が行われた歴史的な背景と理由を説明します。

まず、林銑十郎が首相に就任した経緯ですが、当時は陸軍が権力を握って、軍にとって有利な政策を推し進めたいと考えていました。そこで、広田弘毅の次の首相にと押し上げられたのが、大臣を務めたこともあるエリート軍人・林銑十郎だったのです。

彼には、満州事変で無断で朝鮮半島の境界を越えて国外出兵したという経歴があり、「越境将軍」としてマスコミや国民から持てはやされたこともありました。その意味では知名度も高かったのです。

一方、林という人物は優柔不断で他人の言いなりになることが多い性格で、陸軍としても、彼を操り人形として首相に据えて、政治を陸軍にとって有利な方向へ進めたいところでした。

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