武士からお菓子職人に?徳川家御用達となった大久保忠行のエピソード【どうする家康 外伝】 (2/2ページ)

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主+水でなぜ「主水(もんど)」と読むの?天皇陛下の飲料水を管理する役職に由来するその語源

しかし藤五郎は答えて言います。

「有り難き仕合わせにございます。されど水が濁るのはよからぬ故、それがしの名乗りは『もんと』をお許し下され」

なるほど、もん「ど」と濁っては縁起が悪い。だからもん「と」と名乗らせて欲しい。実に三河武士らしい偏屈ぶりです。

これを聞いて家康は呵呵大笑、いらい藤五郎は大久保主水(もんと)忠行と称したのでした。

終わりに

さぁさ召しませ、駿河餅(イメージ。実際のレシピは調査中)

……又菓子の事うけたまはる大久保主水といへるは。その祖大久保藤五郎忠行は左衛門五郎忠茂が五男にて。三州におはしませしころ小姓勤めしものなり。一向乱のおり銃丸にあたり行歩かなはざれば。己が在所に引籠りてありしが。もとより菓子作る事を好み折々己が製せし餅をたてまつりけるが。御口にかなひしとて毎度もとめ給ひしが。これもこたび御供に従ひ新知三百石たまひ。そが餅を駿河餅といひて時世うつりて後は。いとめづらかなるものとせり。これより後そが家世々この職奉る事とはなりしなり。(家譜。武家厳秘録。御用達町人来由。)……

※『東照宮御実紀附録』巻六「大久保主水(菓子御用達)」

その後も藤五郎は家康・徳川秀忠の二代に仕え、元和3年(1617年)7月6日に世を去りました。

武勇ばかりが武士ではない。どんな苦難にも言い訳することなく、自分のできる最善を尽くした藤五郎のエピソードは、現代の私たちにも勇気を与えてくれるようですね。

※参考文献:

『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション

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