我が天下は揺るがんのう……豊臣秀吉が家臣に語った”天下取りの三要素”とは【どうする家康】
百姓の倅から裸一貫、何やかんやで天下人にまで駆け上がった豊臣秀吉。
人間、出世すると何やかんやと後付けされるものですが、時には自ら語り出すことも少なくありません。
今回は晩年の秀吉が、家臣たちに語った天下取りの三要素について紹介。果たして、何を備えれば天下が獲れるのでしょうか。
一要素ずつ欠けた者たち「畏れながら、太閤殿下」
ある時のこと、御伽衆の者たちが秀吉に尋ねました。
「何じゃ?」
「いま時点で、天下を獲れる器量を備えた大名はございましょうか」
天下を獲るということは、すなわち秀吉に仇なす謀叛に他なりません。
まったくとんでもない事を尋ねたものですが、これは主従の茶番劇です。
尋ねる方も答える方も「そんな奴はおらん」「さすが殿下のお眼鏡に適う者はおりませんな」という結論ありきで、こんなことを尋ねています。
何せ御伽衆ですから、秀吉の退屈しのぎにちょっとひねりを加えたのでした。
して、秀吉の答えと言えば、
「オホン。天下を獲るのは至難の業。何より大気と勇気、そして智慧をすべて兼ね備えねば叶わぬことよ」
とまぁこんな調子で宣(のたも)うまでがお約束。
勇気と智慧は分かりますが、大気というのはスケールの大きさ、野望と言ったところでしょうか。
確かに、いくら智勇を兼ね備えても、天下を獲る意志がなければ始まりませんからね。
「おぉ……して、殿下のお眼鏡に適う者はおりましょうや」
「大名格では一人もおらんな!」
そりゃそうでしょうなぁ……そんな周囲の反応を受けて、秀吉はなおも語ります。
「しかし家臣の中には見るべき者も三人ばかりおるな。あやつらは、3つのうち二つは備えておる」
意外な言葉に、御伽衆らは興味津々。果たして誰でしょうか。
「まず、上杉(景勝)家中の直江山城(兼続)。あやつは大気と勇気を備えておるが、いささか智慧が足りんのぅ」
「次に、毛利(輝元)家中の小早川(隆景)。あやつは大気と智慧を備えておるが、勇気において今ひとつじゃ」
「最後に、龍造寺(政家)家中の鍋島飛騨(直茂)。あやつは勇気と智慧を備えておるが、肝心かなめの大気がない」
結局、三人とも何か一つが欠けているから天下は獲れぬ。しかし大名たちは揃いも揃って彼ら以下。よって我が天下は揺るがんのう……秀吉は上機嫌に笑うのでした。
もし三人が力を合わせていたら?一四五 太閤秀吉公へ御伽の衆尋ね申され候うは、「当時天下を取り申す器量の大名御座候や。」と申され候へば、太閤御答に、「天下を取る事は大気・勇気・智慧なければならず。この三つを兼ねたる大名一人もなし。又小者には二つ宛兼ねたる者三人あり。上杉が直江山城、これは大気・勇気はあれども智慧かけ合はず。毛利が小早川隆景、これは大気・智慧はあれども勇気懸け合はず。龍造寺鍋島飛騨、これは勇気・智慧はあれども大気なし。大名には、これほどの者もなし。」と御申し候由。
※『葉隠聞書』第十巻
以上、秀吉による大名や武将たちの批評エピソードを紹介してきました。
まったく智慧がないだの(直江兼続)、勇気がないだの(小早川隆景)失礼ですね。
鍋島直茂については「大気(野心)がない」という評価でしたが、これは直茂が佐賀藩祖だから忖度したのでしょうか。
※『葉隠』作者の山本常朝・田代陣基たちは佐賀藩士でした。
また佐賀を龍造寺家から簒奪したと思われたくなくて、鍋島直茂はあくまで野心などなかったと主張するための創作・伝承と考えられます。
歴史に「もしも」はありませんが、もし直江兼続・小早川隆景そして鍋島直茂が手を組んで、それぞれを補い合っていたら天下が獲れていたのでしょうか。想像すると面白いですね。
終わりにところで気になるのは「我らが神の君」徳川家康の評価。
秀吉は、家康をどう評価していたのだろうか?(画像:Wikipedia)
秀吉にとっては、かつて小牧・長久手の戦い(天正12・1584年)で苦戦を強いられた難敵のはずです。
あえて不都合な現実から目を逸らしたのか、あるいは家康の徹底した臣従ぶりにすっかり心を許してしまったのか……実際のところはどうなのか、気になりますね。
秀吉の理屈だと、家康は大気・勇気・智慧のうち、どれか一つしか備えていなかったことになります。果たしてどれを備えていたのでしょうか。
ひたすら狸芝居を続けて秀吉を見事に化かした「神の君」が、その本性を表すまでもう少し。
家康がどこまで化け続けるのか、大河ドラマの方も楽しみですね!
※参考文献:
古川哲史ら校訂『葉隠 下』岩波文庫、2011年6月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan