谷村新司の訃報にさだまさし「俺は信じない」加山雄三は…関係者が語るアリス兄貴の素顔!

日刊大衆

写真はイメージです
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「チンペイさん、聞いてるかー!」

 10月17日、『アリス』のメンバー、堀内孝雄(73)がコンサート中にそう叫べば、同時代を生きた盟友のさだまさし(71)は〈俺は信じない。何度か電話しても出ないから、どっか旅にでも出たに決まってる〉と、在りし日の写真とともにインスタグラムに記した。

 10月16日、シンガーソングライター、谷村新司さん(享年74)の訃報が流れた。谷村さんは今年3月に腸炎の手術を受け、療養生活を送っていたが、今月8日に永眠。すでに15日、近親者のみで葬儀を終えたという。

「体調が悪いのは知っていましたが、訃報は寝耳に水。まったく情報が漏れてこなかったです。親しい歌手仲間も、それは同じだったようです。『24時間テレビ』(日本テレビ系)のテーマソングとして、一緒に『サライ』を共作した加山雄三(86)も16日、自身の公式サイトで〈谷村君が亡くなったこと、先ほど知りました。ショックと悲しみで正直混乱しています〉と綴っています」(レコード会社関係者)

■堀内孝雄、矢沢透フォークグループ『アリス』を結成

 谷村さんは1972年、堀内孝雄、矢沢透(74)とフォークグループ『アリス』としてデビュー。当初は鳴かず飛ばずで、日本中をツアーで回る、下積み生活を送った。音楽ライターの本田隆氏は、こう語る。

「74年の『アリス』の年間ステージ数は実に303回でした。谷村さんは汗をかいて、体を使って日本の音楽シーンを開拓していったんです」

 その努力が実り、77年に『冬の稲妻』がヒット。さらに、翌年に発売した14枚目のシングル『チャンピオン』でオリコンチャート1位を獲得し、不動の人気を得ることになる。

■深夜ラジオ番組で「別の顔」

 一方で、谷村さんには別の顔があった。72年から出演した深夜ラジオ番組『セイ!ヤング』(文化放送)のDJ“チンペイ”として、すでに若者から絶大な人気を得ていたのだ。

 元文化放送のアナウンサーで、自身も78年より同番組のパーソナリティとなる吉田照美氏は振り返る。

「ばんばひろふみさん(73)とのコンビによる、『天才・秀才・バカ』というリスナーの投稿コーナーがめちゃくちゃ面白くて、めちゃくちゃ人気が高かった。その内容をまとめた本のシリーズも大ヒットして、出版社がビルを建てたとか」

 同番組の人気を支えたのが、軽妙で明るいトークだった。

「ご本人もお好きだったので、そこは一貫していました。当時は、そういう存在があまりいなかったですから、男性も女性も聞いていたんですね」(前同)

 ダンディな口調で「ビニ本を5000冊、所蔵している」と豪語するチンペイさんを、当時の青年たちは慕った。かつて本誌の取材に対しても、年季の入った“ビニ本愛”を語ってくれた。

〈(新宿にあったショップの)店長さんと気が合っちゃって(中略)それからちょこちょこ寄るようになって。そのうち、仕入れの相談まで受けるようになってね。店長がごはん食べにいっている間、“おれ、店番しているよ”と店番してた〉(本誌93年2月22日号)

 なんと、武道館ライブを終えた、その夜にも店に顔を出し、臨時店員をやっていたというから驚きだ。

■情感豊かな楽曲を生み出す才能

「気さくな人柄に加え、情感豊かな楽曲を生み出す才能は天下一品でした。長唄の三味線の師匠だった母のもとで育った谷村さんが作る歌には、不思議と懐かしい、郷愁のようなものが漂った。だから、アジア各国で歌われている『昴』や、山口百恵に提供した『いい日旅立ち』のように、時代を超えて、定番ソングとして歌い継がれる曲が多いんでしょう」(音楽関係者)

 音楽を架け橋に、日本とアジアの人々の交流にも尽力した谷村さん。夜空に輝く“昴”となった、偉大なシンガーソングライターに合掌。

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