悲劇の英雄・木曾義仲の末裔?徳川家康に代々仕えた山下一族の勇士たち【どうする家康 外伝】
時は平安末期、源平合戦華やかなりしころ。平家討伐に武功を立てて一番乗りで上洛を果たしながら、身を滅ぼしてしまった悲劇の英雄・木曾義仲(きそよしなか)。
しかしその末裔は義仲の誇りと精神を受け継ぎ、戦国乱世にも活躍したと言います。
今回は木曾義仲の末裔を称した戦国武将・山下一族について紹介。彼らは「海道一の弓取り」と名高い徳川家康に奉公したのでした。
山下一族のルーツ山下
今の呈譜に、木曾義仲の後胤小市丸義綱信濃国奥郡山下郷に住せしより、称号とす。又五郎綱勝はその男なりといふ。これによれば為義流たるべしといへども、今しばらく舊きにしたがひ、支流に収む。
※『寛政重脩諸家譜』巻第三百八十八 清和源氏(支流)山下
山下一族は木曾義仲の後胤・小市丸こと源義綱にルーツを持つと言われます。義綱が信濃国奥郡山下郷に住んだことから、山下の苗字を名乗りました。
記録はその山下義綱の子である山下綱勝からはじまります。
山下一族2代目・山下綱勝●某
犬坊丸 彌蔵 又五郎 今の呈譜、綱勝につくる。三河国阿在村に住す。
※『寛政重脩諸家譜』巻第三百八十八 清和源氏(支流)山下
生没年不詳
幼名は犬坊丸、元服して通称は弥蔵または又五郎と言いました。父祖伝来?の信濃から、三河国阿在村に移住したそうです。よって、三河山下一族としては初代となります。
山下一族3代目・山下正綱●正綱
彌蔵 又助 母は某氏。
清康君につかふ。享禄三年五月三河国宇利城を攻たまふのとき軍功あり。某年死す。
※『寛政重脩諸家譜』巻第三百八十八 清和源氏(支流)山下
生没年不詳
母親は不明、通称は弥蔵または又助。弥蔵は世襲、又の字も受け継がれました。
松平清康(家康の祖父)に仕え、享禄3年(1530年)5月の三河国宇利城攻めで武功を立てたそうです。
その他の事績は不明、いつ亡くなったかも定かではありません。
山下一族4代目・山下綱義●綱義
彌蔵 又十郎 母は某氏。
広忠をよび東照宮につかへたてまつる。天文十八年三月十九日三河国安城にをいて戦死す。法名玄英。
※『寛政重脩諸家譜』巻第三百八十八 清和源氏(支流)山下
生年不詳〜天文18年(1549年)3月19日没。
母親は不明、通称は弥蔵または又十郎。松平広忠(家康父)そして家康に仕えました。
が、まだ家康が元服前の天文18年(1549年)3月19日、安城合戦(織田家との戦闘)で討死してしまいます。法名は玄英。
山下一族5代目・山下義勝関ヶ原の死闘。広大な戦場のどこかで、山下義勝も戦っていたはず。「関ケ原合戦図屏風」より
●義勝
彌蔵 庄大夫 母は某氏。
東照宮につかへたてまつり、関原をよび大坂両度の御陣にしたがひたてまつる。寛永四年十月二十三日死す。年七十。法名道仲。四谷の源慶寺に葬る。後代々葬地とす。
※『寛政重脩諸家譜』巻第三百八十八 清和源氏(支流)山下
永禄元年(1558年)生〜寛永4年(1627年)10月23日没
母親は不明、通称は弥蔵または庄大夫。あれ、又の字は消えましたね。また、諱から綱の字も消えました。何か意味ありげにも思えます。
家康に仕え、関ヶ原合戦・大坂の陣(冬夏とも)に従軍しました。
70歳の長命を保ち、四谷の源慶寺に葬られます。法名は道仲。読みは「どうちゅう」と思われますが、祖先の木曾義仲を意識している感じがいいですね。
山下一族番外編・山下綱次綱次
彌太郎 與三兵衛 母は某氏。
東照宮に仕へたてまつり、寛永十五年八月二日死す。年九十四。法名受珍。四谷の南春寺に葬る。これかつて綱次が開基せるところなり。のちこの寺を早稲田にうつさるゝのとき改葬す。
※『寛政重脩諸家譜』巻第三百八十八 清和源氏(支流)山下
天文14年(1545年)生〜寛永15年(1638年)8月2日没
母親は不明、通称は弥太郎または與三兵衛。山下義勝の兄(恐らく腹違い)に当たります。
家督を継げなかったのは、母親の身分ゆえでしょうか。
生前の事績はほとんど知られておらず、94歳の長寿を保ちました。
法名は受珍、かつて自分が開基した(スポンサーとなった)四谷の南春寺に葬られます。
軍歴が詳らかでないため武士としては今ひとつだったのかも知れません。しかし寺の開基となるくらいですから、経済的には成功したのでしょう。
後に寺が早稲田へ移転した際、改葬されたそうです。
終わりに【山下一族略系図】
……木曾義仲……(初)山下義綱―(2)山下綱勝―(3)山下正綱―(4)山下綱義―山下綱次・(5)山下義勝……
※『寛政重脩諸家譜』巻第三百八十八 清和源氏(支流)山下
以上、徳川家康に代々仕えた三河の山下一族について紹介してきました。
真偽のほどはともかく、木曾義仲の末裔が戦国武将として活躍していたという話はワクワクしますね!
NHK大河ドラマ「どうする家康」には登場しないでしょうが、山下義勝が画面のどこかにいるかも?と思いながら鑑賞するのも楽しそうです。
※参考文献:
『寛政重脩諸家譜 第2輯』国立国会図書館デジタルコレクション日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan