西郷暗殺計画も!?降って湧いた「倒幕」への方針転換に薩摩藩の藩士たちは反対していた (3/3ページ)

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薩摩藩は77万国と、数字だけ見れば日本屈指の石高ですが、その土壌は火山灰なので農業には不向きで、実質的な生産高は半分以下だったといいます。

そんな中、洋式産業事業や軍の洋式化、薩英戦争の賠償金支払いと復興事業などにかなりの額の資金が投入されていたのに加えて、島津久光の上洛費用もかさんでいました。

それだけではなく、さらに禁門の変の出兵費用も重なり、当時の薩摩藩の財政は火の車だったのです。

これでは、倒幕どころではないと思われるのも当然です。

島津は賛成した

しかしその後の歴史では、薩摩藩は倒幕へと傾いていきました。なぜ西郷は、藩内の反対派を黙らせることができたのでしょうか。

単純な話で、答えは「島津久光が賛成したから」です。薩摩藩のトップである久光はもともと西郷と仲が良くありませんでしたが、先述の連合政権構想には理解を示していました。

島津久光像

しかし徳川慶喜が実権を握ったことから実現は難しくなり、倒幕した方がよいという考え方になったのです。

で、さらに藩主の島津忠義も西郷に理解を示しました。こうして藩の全権を討幕派が握ることになったのです。

とはいえ反対派がいなくなったわけではなく、西郷暗殺まで計画されるなど、藩士たちをコントロールするのはそれなりの苦労がありました。

そして大政奉還が行われたのは、それからおよそ一カ月後の1867年10月です。このように見ていくと、薩摩藩が「倒幕」を志したのは、意外と幕末期の最後の最後、ギリギリのタイミングだったことが分かります。

参考資料:日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年

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