直木賞作家・小川哲が新刊『君が手にするはずだった黄金について』で描く「承認欲求」と「オリジナリティ」 (2/3ページ)
――漫画は作画の要素もありますから、単に人の話をそのまま描いたからといって「パクり」と言い切れるのかは議論の余地がありますよね。
小川:そうですね。ただ作画もトレースできたりしますから、ある意味検証がしやすいと思います。小説の方が盗作の検証は難しいと思いますが、今後AIが進歩したらできるようになるかもしれません。
――「真のオリジナルなんて存在しない」というのは音楽の世界では古くから言われてきました。音階は限られていますし、コード進行もある程度パターンがあるという意味では確かにそうなのですが、たとえばエレキギターであれば「どんなエフェクターを使うか」で変化をつけることはできます。こういった変化のつけ方は小説の世界にもあるのでしょうか。
小川:小説も、物語のパターンはある程度限られていると思います。それこそコード進行が限られているのと同じことです。ただ、同じ話でも作家が違うとまったく違った作品になるもので、その違いを生み出すものが作家性なんだと思います。
――小川さんの「踏み越えてはいけない一線」はどこにありますか?
小川:小説を書く最終地点を「読んだ人がおもしろいと思うかどうか」に置くことは常に心掛けています。情報や知識をどう脚色して小説に書くかというところで、どうやったら読者がおもしろいと思うのかを最優先する、というのが自分の中でエクスキューズにはなっています。
「オリジナルとは何か」という問題は難しくて答えが出ないですけど、「少なくとも俺は誰かのためにこれを書いているし、その人におもしろいと思ってもらえるためにベストを尽くした」という感覚は信用できます。読者のおもしろさのために書くことをサボらない、ということですね。盗作というのはベストを尽くさずにサボる行為なので。
――「偽物」の中で馬場に盗用された話の一つに、「物語の最後は、その時点での話の弱みを束ねて収拾する」というのがありました。これは「プロットを作らない」という小川さんの小説の書き方と関係しているのでしょうか。