祝!阪神タイガース38年ぶり日本一「日本シリーズ神采配」究極15選

日刊大衆

写真はイメージです
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 就任からわずか1年でタイガースを頂点に導いた知将の陣頭指揮――。球史に残る知略の数々を総力特集!!

■関西対決は高視聴率

 プロ野球、2023年シーズンの総決算である日本シリーズは、岡田阪神が最終第7戦までもつれ込んだ末に“アレのアレ”を果たし、85年以来、38年ぶり2度目の日本一に輝いた。

「互いのホーム球場が、15分で移動できる近所同士の“関西対決”とあって、テレビ離れの進む、このご時世でも関西地区は軒並み高視聴率をマーク。

 瞬間では50%に達するなど、多くの人がテレビの前で手に汗を握り、岡田阪神VS中嶋オリックスの死闘を見守りました」(在阪テレビ局関係者)

 就任1年目で快挙達成の岡田彰布監督(65)。その勝因は、どこにあったのか。

「選手の能力をしっかり把握し、役割分担を明確にしたうえで、シーズンを通して適材適所で起用した。やっぱり、そこに尽きるでしょう」

 岡田監督の「見極めのうまさ」について指摘したのは、阪神OBの藪恵壹氏だ。

「とりわけ昨季と大きく変わったのは、木浪聖也(29)を8番に固定できたことで、不動の1、2番コンビ、近本光司(28)と中野拓夢(27)が得点源としても機能した。四球増で“アウトにならない”確率を上げるという『マネーボール』にも通じる打撃を彼らが徹底できたことが、流れをチームに呼び込みました」

■オリックス・中嶋聡監督「やりくりのうまさ」

 対するオリックス・中嶋聡監督(54)は、巧みに打線を組み替える「やりくりのうまさ」で最下位からのリーグ3連覇へと導いた智将。

 多くを語らない番記者陣への“塩対応”でも、つとに知られるなど、独特の“どん語”でメディアを席巻した岡田監督とは、采配、性格と両極端な存在である。

 今回は、そんな両軍の熱き戦いを再検証しつつ、過去の日本シリーズで名将たちが見せた“神采配”を振り返っていこう。

■“奇策”で“難攻不落”の山本由伸を攻略

 大事な初戦をまず取ったのは、中継席の解説者も驚く“奇策”で“難攻不落”の山本由伸(25)を攻略してみせた岡田阪神だ。

 ヤクルト時代に故・野村克也氏の下で学んだ理論派、秦真司氏が指摘する。

「なんと言っても、5回裏無死一塁で初球から走った佐藤輝明(24)。勝負の分かれ目があるとしたら、あの場面でしょう。

 シーズン7盗塁の選手にサインを出した監督の決断力もさることながら、そこで躊躇なくスタートを切った佐藤自身の勇気もすごい。あの二盗が投手心理を揺さぶり、チームを勢いづかせたことは間違いないですよ」

■イチローに仕掛けた野村克也監督を想起

 そんな初戦の重要性で想起されるのが、1995年。まだブルーウェーブだったオリックスのイチローを相手に、ヤクルト野村監督が仕掛けたインコース攻めを予告するという“心理戦”だ。

「一流の選手だからこその洞察力。そこを野村さんは突いたわけです。本人にそのつもりはなくとも、“弱点のインコースを攻める”と文字や言葉で見聞きすれば、否いやが応でも意識には残る。

 先発のブロスに“右肩痛”のブラフを流したことも含め、あれは完全に戦略勝ちでした」(前同)

■端緒となった“金本知憲封じ”

 一方の岡田監督も18年前、2005年のリーグ優勝時には、ボビー・バレンタイン監督率いるロッテを相手に、トータルスコア“33対4”で4戦全敗とトラウマ級の敗北を喫している。

 その端緒となったのが、全投手に徹底されたキーマン“金本知憲封じ”だ。

「マスクを被った里崎智也は“金本にだけは全打席、初球はインサイドを突けと監督の指示があった”と、各所で語っています。必要以上に主砲が内を意識したことで、終始、ロッテのペースで試合が進みました」(スポーツジャーナリスト)

■やられたらやり返す!

 しかし、そこは名将岡田。今年の日本シリーズで、やられたことをやり返した。

「キーマンの一人だった森友哉(28)に“仕事”をさせなかった。あの苦い経験から得た岡田監督の“学び”が生かされていたような気がします」(前同)

 そして、甲子園に舞台を移した第4戦では、故障離脱後、シーズン中は一度も出番のなかった湯浅京己(24)を、2死一、三塁から登板させる不敵な采配。

■若き守護神の“復活”に甲子園は大歓声

 たった一球でピンチを脱した若き守護神の“復活”に、甲子園は地鳴りのような大歓声に包まれた。

 前出の藪氏はこう続ける。

「むろんフェニックスリーグでの好投で“行ける”と踏んだうえでの起用だったことは言わずもがな。とはいえ、当の湯浅自身には、同じ甲子園、同じオリックス戦で2発を浴びて降板した6月15日以来の1軍マウンド。

 岡田さんは、そういった“投げるべき理由”のある選手を発奮させるのが、本当にうまいと感じます」

 まさに、人情派といったところだろうか。

「第2戦で打ち込まれた西勇輝(32)をリリーフ起用した第6戦、最終戦の伊藤将司(27)、桐敷拓馬(24)も、“やり返してこい”という親心。信頼とはまた別の、ある種の気遣いができる人なんです」(前同)

■日本シリーズ史上初の完全試合を

 そんな人情派の岡田に対して、非情だともいわれる采配をしたのが、07年の落合博満監督。日本シリーズ史上初の完全試合を目の前にした山井大介を、最終回で降板させたのだ。

「山井の肩を叩く森繁和コーチの様子がテレビに映し出されていましたが、あれは落合監督からの伝言で、交代を告げるものだったんです。山井コールが響き渡っていた球場も、交代のアナウンスが流れると静まり返っていました」(前出のジャーナリスト)

■“完投負け”した田中将大が“抑え”として登場

 過去にも、球場の空気を一変させた“継投”があった。13年、楽天VS巨人の第7戦。

 前日に160球を投げ切って“完投負け”した田中将大が“抑え”として登場。

 巨人のコーチとしてベンチ入りしていた前出の秦氏は、当時の様子を「完全アウェイだった」と語る。

「シーズン無敗のマー君に初めて土をつけた時点では、“これは行ける”と意気軒昂だったのに、彼が出てきた瞬間に空気が一変。選手たちが気圧された。

 球場の雰囲気が選手を後押しするという部分では、今回のシリーズでも、敵地でさえホームのようだった阪神に有利に働きました」

■最大のターニングポイント

 2勝2敗のタイで迎えた続く第5戦、どちらかが王手となるシリーズ最大のターニングポイントだった。

 ここでも、岡田監督は勝負どころの8回表で湯浅を起用。二夜連続の好投が、大量6点のビッグイニングを呼び込んだ。

「あの場面は、打ちあぐねていた田嶋大樹(27)を8回まで引っ張るか、頭から宇田川優希(24)に出てこられたほうが、阪神ベンチとすれば嫌だったはず。

 結果論ですが、いわゆる“方程式”の信頼度が高いがゆえに、中嶋監督がやや勝ち急いでしまった感じはありましたね」(前同)

■吉田義男監督の思いきり

 タイで迎える勝負の第5戦は、38年前のシリーズでも鍵となった。前日に被弾の福間納を4回表1死満塁で投入した、阪神・吉田義男監督の思いきりだ。

「挽回のチャンスを選手に与える吉田監督の起用法は、今年の岡田監督にも通じます。さすがに“アレ”とは言い換えていないですが、“優勝”の二文字を口にしないよう徹底させたのも吉田監督が元祖。いろんな意味で、岡田監督にとっての原点なんでしょう」(前出のジャーナリスト)

■“ON対決”も忘れ難い

 第5戦といえば“ON対決”で話題となった00年の長嶋茂雄監督も忘れ難い。

 敵地での大一番を、当時ルーキーの高橋尚成に託す“賭け”に出たのだ。

「終わってみれば、強打のダイエーから12奪三振。2安打完封という圧巻の投球。シリーズ初登板での完封劇は、51年の巨人・藤本英雄以来10人目。新人では初の快挙でもありました。

 これで勢いに乗った巨人は第6戦にも勝って日本一。敗れた王貞治監督は、悔しさのあまりロッカールームで深夜まで一人、放心していたと言います」(前同)

 王監督は、この雪辱をソフトバンクの会長として臨んだ19年、20年のシリーズでリベンジ。巨人を相手に4連勝し、20年越しの大願を“倍返し”で成就させた。

■「岡田流がさえた」

 一方、今シリーズ、最終第7戦は左腕・宮城大弥(22)のオリックスに対し、阪神の先発は“想定外”の青柳晃洋(29)だった。

 ここでも「岡田流がさえた」と、藪氏は見る。

「“最初と最後は青柳と決めていた”と本人も言っていましたが、あれなんか、まさに真骨頂。今年の青柳と似た状況だった03年の私自身も、“いつでも行ける準備だけはしておけ”と激励された経験がありますしね。

 ただ、あのときの岡田さんはまだコーチで、何の権限もなかったですから、シリーズでは結局、蚊帳の外ではありましたけど(笑)」

■MVPにも輝いた工藤公康

 同じく最終戦の名勝負では、1986年の西武対広島戦。史上唯一、行われた第8戦目の8回裏。1点リードでリリーフ登板した工藤公康も印象深い。

「投打にわたる活躍でシリーズMVPにも輝いた工藤でしたが、このときは1死一、二塁の大ピンチ。そこへ森祇晶監督がマウンドまで来て、笑顔で“打たれても同点だろ”と声をかけた。

 これで開き直った工藤は、続く打者をダブルプレー。自らの手で、日本一を手繰り寄せてみせたんです」(専門誌記者)

 そんな森監督率いる西武は、野村ヤクルトとの決戦となった92年にも、紙一重の勝負に勝ち、日本一に。

■“弱者の戦略”で強くなっていった

 当時を振り返って、ヤクルトOBの秦氏が語る。

「戦前の予想は軒並み4勝0敗で西武。それをチーム全体で綿密なミーティングを繰り返して、あと一歩まで追いつめた。僕自身、第6戦でサヨナラ本塁打を打っていただけに、第7戦のあとは一人、悔し涙を流した記憶がありますよ」

 勝負を分けたのは、三塁走者だった広沢克己が、本塁で憤死した7回裏。

「彼のスタートの出遅れがなければ、決勝点になっていた」と、秦氏が続ける。

「あのプレーを機に、責任の所在を明確にした“ギャンブルスタート”という考え方が生まれ、翌93年には、西武を相手に雪辱を果たすことができた。野村さんの言う“弱者の戦略”で、負けを力に変えて、ヤクルトは強くなっていったんです」

 レギュラーシーズンとは段違いに、“采配”がモノを言う最高峰の短期決戦。

「アレのアレ」を果たした岡田監督の采配も、未来に語り継がれるだろう。

■語り継がれる名将たちの神采配

2009年 巨人VS日ハム 第1戦 鈍足・阿部慎之助を救った「偽装スクイズ」1点リードの7回表、無死一、三塁。初球、木村拓也がスクイズの構えでまさかの空振り。しかし、三塁走者の谷はスタートしておらず、日ハムバッテリーは混乱。一塁走者の阿部が悠々と二塁を陥れ、「偽装スクイズ」成功。チャンス拡大で、続く代打・李承燁が中前へ決勝タイムリーを放ち、見事4-3で勝利を収めた。

2019年 ソフトバンクVS巨人 第1戦 代打の代打を送り込み投手を揺さぶって圧勝 7回、1死一、三塁の場面で、工藤監督は左の代打・長谷川勇也を送る。すると、巨人ベンチも左腕の田口麗斗をマウンドへ。策士の工藤監督はすかさず代打の代打に“左殺し”川島慶三を打席へと向かわせた。この作戦に動揺した田口は四球を与え、続く牧原、今宮、柳田に3連打を浴び、4点奪取。結果、7-2で圧勝した。

2021年 ヤクルトVSオリック 野村監督直伝ID野球で主砲吉田を封じる! ID野球全盛時代、クローザーを務めた髙津臣吾。野村イズムをたっぷり叩き込まれた彼も、徹底してデータ野球を行った。結果は、同年の日本シリーズでも顕著に表れた。ケガ明けの主砲・吉田正尚に対し、徹底してインコースを攻め、シーズン中、ほとんど三振をしなかった主砲を6奪三振、打率.222に封じ込めた。

2011年 ソフトバンクVS中日“昼行灯”と呼ばれた監督の大胆な選手起用 「オレは何もしない」と語るほどの“静かな将”。選手起用も各コーチに任せていた。しかし、2敗を喫し、迎えた第3戦。選手として出場した99年の日本シリーズで、成績が落ちていた秋山を1番で起用し続けた王監督を思い出したのか、ベテランの小久保を4番に起用。その小久保が大暴れし、見事、逆転優勝を果たした。

2016年 日ハムVS広島 第6戦 大谷をおとりにした“栗山マジック”の妙 誰もが先発・大谷翔平を予想していたが、まさかのベンチスタート。しかし、栗山監督は、ここぞの場面で大谷を使う。同点の8回、ツーアウト満塁で中田翔、そんな場面でネクストバッターボックスに大谷を立たせる。「8、9回大谷が登板する」というプレッシャーから、押し出し四球。大谷をうまく生かし、10-4で勝利。

2010年 ロッテVS阪神 メンタル面のケアで史上最大の下克上! シーズン中からギリギリの戦いで、一つ負けたら4位転落、CS進出すら危うい状況だった。3位から勝ち上がった日本シリーズでも、5時間超えの試合を2試合するなど、選手は疲労困憊。そんな状況でも優勝できたのは、監督が常に面談を開くなど、選手にヤル気を起こさせ、メンタル面のケアを怠らなかったことが勝因。

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