全身から血を噴いて崩御…幕末期の孝明天皇の突然死で囁かれた「岩倉具視犯人説」を検証【後編】 (2/4ページ)

Japaaan

亡くなる三日前の22日には、侍医団も「天皇の疱瘡は山場を越えた」とはっきり宣言しています。また23日もしっかり食事を採っており、トイレにも自分で立っています。

ちなみに、御所のトイレは砂と紙を使った引き出し式のものでした。さらに当時の帝は革製で漆塗りのおまるも使っていたことから、亡くなる直前の天皇の排泄の様子や便の量もきちんと確認されています。

「岩倉具視犯人説」の噂

いずれにせよ、天然痘の症状では【前編】で説明したような容体の急変はありえません。また最期に全身から血を噴いたという病状についても同様で、あまりにも不自然です。

このため、暗殺を疑う人は当時からいました。天皇の側近である中山忠能は、日記に「この度、御痘全く実痘には在らせられず、悪瘡発生の毒を献じ候」と、大奥の老女・浜浦による手紙を写した文章を書き残しています。ただ、当時のこれらの記録は噂程度のレベルの内容がほとんどで、現在も正確な死因ははっきりしません。

では、暗殺だとしたら犯人は誰でしょうか。ここで、よく言われてきたのが岩倉具視犯人説です。当時、公家だった岩倉が、思想的に邪魔だった孝明天皇を毒殺したのではないかというものです。

旧500円札で使われていた岩倉具視の肖像

「岩倉具視犯人説」の根拠は何でしょうか。

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