卑弥呼は何を食べていた?かば焼きはなぜ「蒲焼」と書く? 知ってるようで知らない和の食材【その2】
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写真は卑弥呼の食卓を想像的に再現した食事の一部。各地の遺跡から出土した骨や種子などを分析したデータに基づいています。
ぱっと見、凄い豪華…!
そして角煮のようなものが見えますが…なんとぶ、豚肉⁉ そうかこの時代は仏教が伝来してないので、獣肉も食べていたのですね。
他には野菜を混ぜ込んだ炊き込みご飯、マダイの塩焼き、アワビ、ハマグリと水蛸の煮物、豚肉と里いもの煮物などが並べられています。
現代は「黒い真珠」と表現される高級品アワビなども、当時は海に豊富だったのでしょうか。しかしさすがは邪馬台国の女王…!
福神漬け発祥は上野にあった和食展の帰りに、上野に福神漬け発祥の漬物・佃煮・発酵食品を扱う店があるというので立ち寄りました。
それは「酒悦」という店で1675年に創業した老舗です。初代野田清右衛門が山田屋を名乗り本郷の元町に店を構えましたが、その後、上野池之端に店を移します。
そしてその漬物は、寛永寺の東叡山輪王寺の御門跡「白川宮」から「酒が悦ぶほどうまい」と褒められ「酒悦」という屋号をいただいたそうです。門跡というのは、皇族・公家が住職を務める寺院や住職のことですね。
福神漬けは15代酒悦清右衛門が数年かけ明治10年ごろ発明しました。原料に七種の野菜を使っていること、不忍池に弁天様が祀られていることから七福神にちなんで「福神漬け」と名付けたそうです。
七つの野菜は「大根、なす、なたまめ、蓮根、かぶ、しそ、うり」です。
うなぎのかば焼きはなぜ「蒲焼」と書く?
うなぎの蒲焼といえば、今は平たく切り開いているイメージですが、ではなぜ「蒲焼」と書くのかご存知ですか?
実は昔はうなぎを丸胴のままぶつ切りにし、串にさして焼いていました。その形が植物のガマの穂(蒲の穂)に似ているから「蒲焼」と呼ぶようになったということです。しかし時代が下がると皿に載せるスタイルが主流となります。
いかがでしたか? 永く続いてきた和食の伝統をもっと知り、大切にしていきたいものですね。
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