「関ヶ原の戦い」で一番の功労者は…まさかのあの武将!?本多正信の答えがコチラ【どうする家康 外伝】 (2/3ページ)
「ゆえに治部めは殿に天下をとらしめた最大の功労者と申し上げたのでございます」
「なるほど。まったく『大鋸屑も言えば言わるる』ものよ」
正信の皮肉に気づいた家康は、一本取られたと苦笑いしました。
ちなみに大鋸屑(おがくず)とはノコギリで木を切った時に出るゴミですが、これを言い換えた慣用句です。
「それがしが木を切ったついでに大鋸屑が出るのではなく、それがしは大鋸屑を作るために木を切っているのです」
つまり石田三成が兵を挙げたのは家康を倒すためではなく、むしろ家康に天下をとらせるためあった……と。要するに「モノは言いよう」ということですね。
終わりに
……本多佐渡守正信 中納言殿の御供して。二條の御城にて謁し奉りし時。石田三成が息。妙心寺のうち寿性院が弟子になりて。すでに幼年より釈徒にも成てある事なればゆるし給はれとかの住持はじめ一山の僧共願ふよし御物語あれば。正信承りそれは早く御許あるべし。三成は 当家へ対し奉りてはよき奉公せし者なれば。そが子の坊主一人や二人たすけ給はるとも。何のさゝはりかあらむと申す。 君三成が我に奉公せしとはいかにと咎め給へば。正信さむ候。こたび三成妄意にかかる事企てずば御勝にもならず。 当家一統の御代にもなるまじ。さすれば治部は 当家への大忠臣と存ずれといへばほほゑませ給ひ。おかくずもいへばいはるゝものとの御戯言ありしとぞ。(霊岩夜話。)按ずるに此石田が子の僧。其願のまゝ助命ありて。後には済院和尚といひて泉州岸和田に居しが。年老て後は岡部美濃守宣勝ゆへありて。よく扶助して終りをとりしとなり。