「巨人はロッテより弱い」発言の右腕はプロ雀士!プロ野球「戦力外通告」その後…あの名選手の第二の人生20連発

日刊大衆

写真はイメージです
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 カクテル光線が輝く舞台を後にして、新たな足跡を残す野球人たちがいる。ファンの胸を高鳴らせた彼らの現在! 

 11月15日。千葉県鎌ヶ谷ファイターズ球場で、2023年のNPB12球団合同トライアウトが行われた。

 今年はソフトバンクの森唯斗(31)、楽天の西川遥輝(31)など、多くの有名選手が放出された。そんな中、59名の選手がトライアウトに参加。

 16年の新人王・阪神の高山俊(30)は2安打を放ち、盗塁も決めるなどの意地を見せ、こう語った。

「とにかく泥臭くしがみついて、全力でやってやろうと考えていました」

■トライアウトの注目度は高いが

 今年もフジテレビONEが生中継し、約2400人の観衆が集まるなど、トライアウトの注目度は高い。だが、12球団と再び契約できる確率は、わずかしかない。“しがみつける”選手は少ないのだ。

「近年は、家族やお世話になった人に対し、最後にプレーする姿を見せるために参加するなど、野球に見切りをつけるために参加する選手も多い。また競輪や格闘技、一般企業のスカウトが掘り出し物を探しに来ている姿も少なくありません」

 こう語るのは、06年からNPBトライアウトを17年連続で取材している、ノンフィクションライターの村瀬秀信氏だ。

「プロ野球が国民的なスポーツであることは、間違いない事実。確率として東大合格よりも難しく、人々から尊敬を集め、知名度も高い逸材ぞろいです。ある元選手が“元プロ野球選手の肩書きは日本で最も価値の高い資格である”と言っていましたが、一般企業からすれば、ぜひ欲しい人材でしょう」(前同)

 トライアウト会場に、今年も現ソニー生命の鵜久森淳志氏(元ヤクルト他)がスカウトに来ていたように、昔からプロからの転向が多いのが、知名度を最大限で生かせる保険の営業マンだという。

「かつて元大洋の市川和正さんが、ソニー生命で日本一のセールスを叩き出しましたが、歩合制の点も人気です。同じ大洋の大門和彦さんは独立し、現在は保険会社の他、接骨院など数社を経営中。“『珍プレー好プレー』で死球に怒ったアレンに追いかけられた映像が使われたおかげで、多くの人に覚えてもらった”と言っていましたね」(同)

■「知名度」という資格を使わない人も

 知名度という資格を第二の人生に生かす選手もいれば、あえて使わずに、新たな分野に挑戦する選手もいる。その選択は、まさに生き様そのものだ。

 野球選手から芸能界に転身した、タレントのパンチ佐藤氏は現在、『ベースボールマガジン』で元プロ野球選手のセカンドキャリアを追った連載をしている。

「僕の場合、自ら引退を決めました。きっかけは仰木彬監督。入団して5年、僕はまだやれる自信があったし、努力もできた。でも、当時の僕は結婚して子どもができて、稼がなければならない状況だったんです」

 先発出場がなく、わずか6安打で終わった94年、パンチ氏は「僕にセンスがないなら引退するので、そう言ってください」と仰木監督に頼んだという。監督は、こう返事をした。

「“いいか、パンチ。プロ野球選手は辞めるタイミングが重要だ。1年早くても1年遅くてもダメ、パンチは今、このときに辞めるのがベストだ”。これが答えでした。それで僕は辞める決心がついたんです」

■解説者や芸能人の道はほんの一部

解説者や芸能人の道はほんの一部

 スター選手でも、解説者や芸能人の道に進めるのは、ほんの一部。花形職業といえど、その多くが旬を過ぎてしまえば、忘れ去られる宿命も背負っている。

「最近は、やりたい職業が見つかるまでやろうというスタンスの人も含め、毎年、3人程度はユーチューバーになっています」(村瀬氏)

 この分野で大成功を収めている元ロッテ里崎智也や、球界の裏情報を発信する元巨人の笠原将生など、内容も成功具合もさまざまだ。

「最近は飽和状態で、知名度だけでは成功しない世界です。逆に、元巨人の育成選手だった小山翔平さんは、現役時代は無名でも毎日、動画を上げ、過激とも言える“愛のある批判”を展開することで、人気を集めています」(前同)

■たゆまぬ努力の末、元プロが異世界転生

 一方で引退後、過去の名声に頼らない実力重視の世界に身を置く人たちも。

 パンチ佐藤氏は取材した中で、最も印象に残った元選手として、鍼灸師になった元オリックスのストッパー・鈴木平を挙げた。

「有名球団の選手やスター選手は応援してくれる企業が多いので、セカンドキャリアも決まりやすいんですが、彼は引退後に神戸の鍼灸養成施設に3年間通い、鍼灸師になりました。その間の収入はなし。奥さんが、ちゃんと貯金をしてくれていたんですよ。素晴らしい夫婦ですね……。あ、もっと詳しい話は連載をお読みください」

 村瀬氏いわく、別枠の三ツ間卓也のように、農家などの一次産業に身を置く元選手も増えているという。

「元日本ハムの菊地和正は現役時代から、こだわりの強い人でしたが、現在は上州勝五郎豚というブランド豚を育てています。元中日の清水清人さんは、島根県の漁師町・五十猛で育ったスラッガーで、落合監督時代には4番候補にもなりましたが、引退後に地元に戻り、海の男になりました」

■公認会計士になった元阪神タイガースの選手

 さらには、引退後に難関資格を取得し、野球とは対極にある専門職に就いた、驚くべきセカンドキャリアを歩む元選手も存在する。

「元プロで、初の公認会計士になった元阪神の奥村武博さんにも驚かされましたが、3年前に東海大学医学部に合格した、元DeNAの寺田光輝さんは、ある意味、大谷ぐらい奇跡的な存在かもしれません」(前同)

 寺田氏は中学、高校通じて補欠、大学でも一度は野球を辞めて休学、独立リーグを経てプロ入りしたという異例の経歴の持ち主だ。

「学生時代は、そこまで学力に秀でたほうではなかったそうですが、医学部受験を決めてからは、予備校に勤務しながら1日5時間勉強を続け、短期間で合格。やはりプロになるほどの人は、圧倒的な集中力を持っているんでしょうね」(同)

 パンチ氏も同調する。

「野球選手って努力できるんです。小さい頃から周りが遊んでいる中、コツコツと努力してプロの世界に立つんですから。だから、どんな業界でも大丈夫」

■第二の人生は9回裏が終わっても続く!

 多くの“第二の人生”を見てきたパンチ氏は、今、その岐路に立つ彼らに伝えたい思いがあるという。

「プロ野球の世界は竜宮城なんだと。何千万、何億円を稼いでも、引退後は本塁打王だって野球での収入はゼロなんだよと。だから、鈴木君のように、きちんと貯金をして、次の夢に向かって努力してほしいですね。

 過去の栄光にしがみつかず、プロ野球を辞めるときは、“ありがとう! いい夢、見させてもらったぜ!”っていう気持ちでいてほしい」

 野球人生を終えても、人生は続く。パンチ氏がお立ち台で残した名言、「下痢するほど飲みたい」と思えるほどの喜びが、グラウンドを去った後にもあることを、ファンは祈っている。

■全球団勝利記録を持つ鉄腕 林昌範(元巨人他)

生涯成績/421登板22勝26敗22S99H 自動車教習所取締役

 実家が自動車学校なんです。以前から父に継ぐように言われていたんですが、反発して野球選手になりました。巨人から日本ハム、横浜DeNAと16年間の現役生活を終えたのが2017年。そのときに、もう一度「継がないか」と言われて覚悟を決めました。

 学校は船橋と鎌ヶ谷の2校あって、僕は従業員が100人いる会社組織の取締役です。自分のことだけを考えていればよかった現役時代とは違って、従業員の勤務環境や、お客さんの満足度を考えなければいけない試行錯誤の日々です。

 今、この立場になって最も参考にさせてもらっているのが原監督なんです。リーダーシップとモチベーターとしての力は本当にすごかった。自分の考えを簡潔に、明確に伝えてくれる。その“言葉力”は憧れです。

 2006年のシーズン中、僕はセットアッパーとして失敗が続いて自信をなくして、「二軍に落としてほしい」と直訴したことがあったんです。原監督はそんな若造の言葉にも「まぁ座りなさい」と、正面から向き合ってくれて、巨人で戦う重圧の大変さを自身の現役時代の経験を交えて語ってくれました。

「おまえが自らファイティングポーズを下ろすならしかたない。だが、どんなに苦しくても戦う姿勢を取り続けてくれるというのなら、俺はおまえを試合に使い続ける。その結果はおまえが考えることじゃない。俺は期待しているんだ」と。その言葉で僕は救われたんです。今の僕も、そうやって悩んでいる人がいたら、力を与えられる存在になりたいですよね。

 お客さんに満足してもらうことが今の仕事ですが、それはプロ野球も同じ。僕が幸運だったのはファンサービスというものが大きく見直された時期に、現役選手だったこと。特に親会社がDeNAになったばかりのベイスターズに移籍して、フロントの人が「いかにファンを獲得するか」というテーマを選手に訴えていたことが大きかった。あのとき、疑問に思ったことも、今はすごくよく分かるんです。たとえば、お客さんの身になって考えることとか。

 鎌ヶ谷校はすぐ近くにファイターズの選手寮があって、若い選手が通ってくれてます。清宮幸太郎選手や万波中正選手も卒業生なんですが、若手選手ってシーズン中は当然、オフもトレーニングで時間がなかなか取れないんです。そんな彼らの日程に合わせて免許が取れるように、対応したり。そんな多忙な人たちなど、いろいろな人のニーズに合わせて、お客さんに、通ってよかったと思ってもらえる自動車学校にすることが今後の目標です。

■猛牛軍団の強心臓男 加藤哲郎(元近鉄他)

生涯成績/151登板17勝12敗6S プロ雀士

 好き勝手やってきた僕も、来年の4月で還暦ですよ。引退してもう28年。最初はテレビで解説者をやったけど、思ったことは何でも口にしてしまう性分で、言いたいこと言ってたら契約も切られた。思っていないことは頼まれても絶対に口にしないから、使いづらかったと思うよ。でも、俳優の仕事は楽しかった。やっぱりマウンド上の刺激と同じで、スポットライトが自分に当たるのは特別。だけど、東京で下積みからやる覚悟がなかったよね。他に焼肉屋もやったし、雇われ店長もやったけど……。まあ、若くて時間もあったから、結局は舐めてたんだと思う。

 10年前に知り合いに声をかけてもらって、大阪の天満橋会館で「賭けない、飲まない、吸わない」の健康麻雀の講師になって。好きな麻雀ができて、環境は最高。今の生活に不満はない。穏やかに時間が流れて10年か。不満はないけど、ただ、もう一度燃えるような勝負をしてみたかったんでしょうね。

 昨年末からプロになることを考え始めて、今年の夏に日本プロ麻雀連盟に所属するプロになりました。野球界では昔から麻雀をたしなむ人が多いけど、引退後にプロ雀士になった人はいない。現役時代、選手同士で、よく卓を囲んでいたけど、“強い”と思った選手はいないね。本当の麻雀と比べたら“じゃんけんぽん”みたいなものですよ(笑)。

 プロになって、これまでの実績を考慮してくれて、真ん中あたりのC3のクラスからスタートしましたが、全然違いますね。これまで優しく接してくれた人たちの態度や、周囲の見る目も。まだ数試合しかしていないけど、重圧もまるで違う。

 今は寸暇を惜しんで、同一リーグで対戦する相手の研究をしてますね。野球ではさんざん大口を叩いてきたけど、それは自分の力のほうが上だという自信があったから。プロになりたての麻雀の世界では、59歳のオールドルーキーですから。しかも僕には時間がない。だって、いくつまでプロとしてやっていけるのか。プロの経験の積み重ねもなく、これから能力が上がるのか、逆に衰えちゃうのかもまだ見えない。せめて他の人が遊んでいるときに少しでも差を詰めないといけないから、そりゃ謙虚にもなりますよ。

 もちろん上は目指したいけど、タイトルとか賞金への欲はなくて、ただ、震えるような勝負がしたい。同じリーグには1989年の日本シリーズで対戦した駒田徳広さんの娘・真子さんもいる。お父さんとの因縁もあるし、近いうちにあるだろう対戦も、楽しみですね。

■育成からはい上がったサイドスロー 三ツ間卓也(元中日)

生涯成績/77登板4勝3敗15H いちご農家

 プロ野球選手のセカンドキャリアって基本的に、めちゃめちゃ暗く報じられるじゃないですか。僕は、そうじゃないって言いたいんです。

 野球選手の肩書で注目されるのは引退して1〜2年。最初は同情で注目されても、すぐに過去の人です。僕は今、インスタやユーチューブを積極的にやってますが、「今、三ツ間は土地がないらしいよ」「キッチンカーの融資が成立したらしいよ」とか、現在進行形で情報を共有することで、忘れられるスピードが遅くなると思ってるんです。その間に、いちご栽培の実力を上げて、知名度と栽培の実力の曲線が逆転するグラフを描くのが理想です。

 だから、初動を重要視して一番早く開業できるルートを探しました。結果、2年間学校に通いながら、農園を横浜市の泉区に決めることができました。でも、やはり、ゼロから農家に参入することは、簡単ではなかったです。まず土地がない。良さそうな土地があれば飛び込みで事業計画をプレゼンしましたが、まず信用されない。

「野球選手なら野球をやればいいだろ」と言われたこともあるし、契約直前になって相場の120倍の家賃をふっかけられたことも。でも、飛び込みを繰り返しているうちに「三ツ間という男が熱心に土地を探している」という話が農家の人たちの間で伝わって、協力してくれる人が出てきたんです。

 農園を開く際には、インスタを見たファンの人が全国から手伝いに来てくれました。ある人に「なんで、ここまでやってくれるの?」と聞いたら「球場に行ったとき、他の選手が無視する中で、三ツ間さんだけがサインに応じてくれたのがうれしかった」と言うんです。ありがたいですよね。

 農園は開けましたが、いちごは生き物、5000苗を育てるのは想像以上に大変でした。水やりは一日4回、天候や気温など、環境は秒単位で変わります。病気になった、台風が来たと、ハプニングだらけで、とんでもなく奥が深い世界です。

 僕が、いちご農家を志したのは、現役時代にコロナ禍で外出できない子どものため、ベランダで栽培を始めたことが契機です。転身を後押ししてくれた妻は「プロ野球選手は、一つのことに注力できる人。子どものため、いちご作りに熱中する姿は本気だった。私も共働きで頑張るから、いちご農家にチャレンジしてよ」と言ってくれました。信頼してくれる妻と「パパのいちごが大好き」と言ってくれる子どものために、苦労は感じないです。品質とブランド力を高めて、夢はでっかく年収100億円。その第一歩として、来年1月のオープンに全力で準備をしています。

【画像】プロ野球選手珍しい「第二の人生」

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