その腕前に家康も関心!徳川家で弓術師範を務めた竹内信次の活躍ぶりやいかに?【どうする家康 外伝】
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昔から武士を弓馬(ゆんば/きゅうば)と呼ぶように、武士にとって弓術と馬術は必須スキルでした。
南蛮から火縄銃(鉄砲)がもたらされた戦国時代においても、弓矢は飛び道具の主力として相当の威力を発揮します。
今回は人質から天下人に上り詰めた徳川家康の家臣・竹内信次を紹介。その腕前は、どれほどだったのでしょうか。
家康がつけたあだ名は「発知八蔵」![](https://image.dailynewsonline.jp/media/2/c/2c48f76d64af3935c7a3572ca645e58840494fbd_w=666_hs=ef172707b393ea4d0a99baeb812f3da7.png)
竹内信次は竹内信重の子として誕生しました。生年について、詳しいことは分かりません。
通称は五左衛門。19歳の時に家康の小姓として仕えました。
家康の寵愛を受けたのか、のち御徒頭(おかちがしら。歩兵隊長)に抜擢されます。
幼少時から弓を得意としていたらしく、その腕前に感心した家康は、信次に八蔵という名を授けます。
「そなたはまさに発知八蔵じゃ!」
発知(はっち)とは矢が的に突き立った時の擬音「はっし(発止)」の訛り。よく軍記物語などで「はっしと射止める」なんて言いますね。
矢を射るたび、放つたびに的がはっち、はっちと鳴るから八蔵……どうやら家康は親父ギャグが好きだったようです。
「よし、今日からは八蔵を弓術師範とする。皆の者、よう稽古してもらえ」
「「「……御意」」」
小牧・長久手の戦いで活躍![](https://image.dailynewsonline.jp/media/6/e/6ec3d9ec8acb8e242482ca7f64c6f98e01851f23_w=666_hs=d6fe358a44a87d156e378964e8f7c8cb.png)
かくして徳川家の弓術師範となった信次。しかし家臣たちは面白くありません。
「何が八蔵じゃ。殿の仰せだから大人しく従うが……」
「あの生意気な小童、実戦ではいかほどかのう!」
信次の初陣は天正12年(1584年)、後世に伝わる小牧・長久手の戦いです。
ここで信次は得意の弓術を駆使して敵を次々に射止め、名だたる首級を二つも獲たのでした。
この時、信次は戦利品として唐頭(からのかしら。ヤクの毛で飾られた兜。高級品)と、村正の脇差を手に入れます。
自分のものにしてもよかったのでしょうが、信次はこれらを仲間に分配。唐頭は加々爪次郎右衛門に、脇差は内藤家長に与えたということです。
エピローグ●信次
八蔵 五左衛門 母は某氏。
東照宮につかへたてまつり、御小姓を勤む。時に十九歳 そののち御徒の頭に転ず。信次少年のとき、射芸をこのみ、よく的に中つ。ゆゑに東照宮たはぶれに發知八蔵とめされ、仰によりて麾下の諸士信次に射芸を学ぶもの数多なり。天正十二年長久手の役に首二級をうち取、唐頭付たる甲及び村正の脇指を分捕す。その後唐頭は加々爪次郎右衛門某にあたへ、脇指は内藤弥次右衛門家長にあたふ。そののち関原御陣にしたがひたてまつり、慶長六年より西城の御留守居番をつとめ、のち奥方番に転じ、寛永十年致仕し、某年死す。年八十四。
※『寛政重脩諸家譜』巻第九百六十七 藤原氏(支流)竹内
その後、信次は関ヶ原の合戦(慶長5・1600年)に従軍。慶長6年(1601年)からは留守居番として前線に出ることはなくなったようです。
のち奥方番(いわゆる大奥の管理職員)となり、寛永10年(1633年)に引退。没年は不明ですが、84歳という長寿で世を去ったのでした。
竹内信次の生年を推測ところで、竹内信次は生没年ともに不祥とされています。
仮に引退の翌年(寛永11・1634年)あたりに亡くなったとすると、生まれた年は天文20年(1551年)。
その場合、19歳で家康に仕えたのが永禄12年(1569年)。そこから小牧・長久手の戦い(天正12・1584年)に初陣だと34歳。いくら何でも遅すぎです。
そうなると、生まれた年は10~15年ほど繰り下がった永禄4年(1561年)~永禄9年(1566年)くらいと考えるのが自然でしょうか。
今後、確かな究明がまたれるところです。
終わりに以上、徳川家康に仕えた竹内信次のエピソードを紹介してきました。
徳川家臣団には他にも個性豊かな武将がたくさんいたので、また改めて紹介したいと思います。
※参考文献:
『寛政重脩諸家譜 第6輯』国立国会図書館デジタルコレクション日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan