秀吉の朝鮮出兵で李氏朝鮮から強制連行され、千姫に仕えた武士・染木正信【どうする家康 外伝】 (2/3ページ)
時は慶長8年(1603年)、姉弟はそれぞれ唐人風の装いで引き出されたと言います。
このことから、正信はまだ元服しておらず、歳のころは10代前半(~15歳)と見ていいでしょう。
そこから逆算して、染木正信の生年は天正18年(1590年)ごろと考えられます。
「これからは姫様の御為、忠義を尽くして参りまする」
という訳で千姫に仕えた姉弟。この機会に元服し、染木正信(通称は八右衛門)と名乗ったのでした。
一方で、姉は染木早尾と名乗ります。染木という苗字にどんな由来があるのか、正信・早尾という名前についても気になるところです。
残念ながら、詳しいことはまだ分かっておらず、今後の解明がまたれます。
その後、染木姉弟は生涯にわたり千姫に仕え、正信は土圭の間(とけいのま。時計を置いて時報を担当)に勤めました。
染木正信の子孫たち
●正信 八右衛門
豊臣太閤朝鮮を征伐するの時、片桐市正且元かの國にをいて姉弟二人の小兒をいけどり、日本にをくる。天樹院御方大坂に居たまふのとき、且元より二人を唐土の童子の風俗に粧ひ、臺にのせてまいらす。姉を早尾といふ。弟はすなはち正信なり。ともに身を終るまで天樹院御方につかへ、正信は土圭間の取次役を勤む。
※『寛政重脩諸家譜』巻第千五百七 未勘 染木
以上、朝鮮から連行されて千姫に仕えた染木正信のエピソードを紹介しました。
その後、嫡男の染木正美も千姫に仕えたそうです。
●正美(まさよし) 利右衛門
天樹院御方につかへ、のち御広敷の添番をつとむ。